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4-4. プール活動を計画する前に(2018年6月11日)


「責任を負えない」ならプール活動をやめる

 まず要点です。

 施設長に「万が一の事態が起きた時、自分が責任をとる」「自分で責任をとれる」という決意がないのであれば、プール活動(※)はおやめください。

 プール活動で、子どもが絶対に死なないように保証することはできません。水は、おとなであってもそこに数分、顔をつけていたら死ぬ環境です。プールの中に子どもが一人しかいなくても、誰も監視していなければ亡くなります(2012年、茨城県五霞町。書類送検・損害賠償)。プロのライフセーバーであっても、水の中に沈んでいる人形を確実に見つけることはできません(「4-3. ライフガードの実験」)。保育園、こども園、幼稚園の決して大きくないプールでも、ほんの数分、目を離しただけで子どもが死亡、溺水することは近年の事例からはっきりしています。

 プール活動で、預かっている子どもに万が一の事態が起きた時、責任を負わされるのは施設長と監視をしていた(しているはずだった)職員です。自治体は責任を負いません。法人や企業も責任を負わないでしょう。保護者ももちろん責任を負いません。施設長と監視者が責任を負うのです。法的にはなんの責任も負わずに済んだとしても、心には一生の傷が残りかねません。今の日本の状況では明らかに、「施設長と監視者が悪かった」ということになるからです。「園でプール活動をするのはあたりまえ」という意識を支えている社会全体は、誰も責任を負いません。法人や企業の上層部も責任を負いません。施設長と監視者が責任を負うのです。施設長と監視者(さらに周囲の職員)が残りの一生、「なぜ、あの時に私は…」と思って(思わされて)生きていかざるを得ないのです(※※)。

 ですから、「万が一の時に責任を負うことはできない」「負えない」と施設長がお思いになるのであれば、プール活動はやめてください。やめていいのです。子どもの命のために、施設長と職員の心のために。自治体や上層部や保護者に「プール活動をしろ」「するのがあたりまえだ」と言われたら、「万が一のことが起きた時、私(たち)は責任を取り切れません」とだけ答えてください。それでも何か言われるのであれば、こう尋ねてください、「では、あなたが責任をとってくださいますか?」。これに対して「自分が責任をとる」という方が仮にいるなら、その方に監視係をしていただきましょう。

 保護者に伝えることはシンプルです。

・ここ数年、園におけるプールの死亡・溺水事故が続いています。
・監視を立てるよう国、自治体からも指示されていますが、監視がいれば必ず子どもの命を守れるというわけではありません。
・子どもの命を預かる立場として、保育園/こども園/幼稚園でプール活動をする価値と、そのリスクを考えた時、リスクのほうが大きいと考えざるをえません。
・プール活動をやめますので、ご承知ください。水遊び、泥遊びなどは積極的に行っていきます。その際も監視は立てます。
(誰が相手であれ、理屈を並べる必要はありません。「子どもたちの命にかかわることであり、私(たち)は責任を取り切れません」と言い続けてください。そうでしかないのですから。)

※ここで「プール活動」としているのは、「水をためて、その中に子どもが集団で入る活動」すべてです。何センチであれ、水がたまった場所を設置し、そこに子どもが入っているのであれば、それは「プール活動」と呼んでいます。たらいを使った水遊びや泥遊びが絶対に安全だとは言いませんが、プール活動とは一線を画しています。

※※家庭の不慮の事故で子どもが亡くなった時、「私が~していれば」と保護者が悩み、鬱状態などになることは少なくないそうです。また、家族や周囲に「あなたが~していれば」と責められることも少なくないそうです。本来、保護者は心のケアの対象になるべきなのですが、そのシステムもないのが日本社会です。では、園で、不慮の事故による子どもの死亡が起きたら? 職員の心をケアするシステムはまったくなく、「責任」ばかりがのしかかります。「不慮の事故」は「犯罪」とは違うのですが、日本はその線引きを明確にしていません。

プール活動は、「リスクを上げる」活動

 窒息(誤嚥や絞扼)、睡眠中、プール活動、いずれも発生したら一刻を争います。その点では同じです。けれども、誤嚥窒息は「明らかに危険なモノを使わない」ことで死亡リスクを下げることができます。睡眠中は、「あおむけ寝、顔のまわりに布類を置かない、口の中に何も入っていない」などの保障をすることで死亡リスクを下げることができます。

 ところがプール活動は、おとなでもそこに数分間つけておいたら確実に亡くなる環境に、子どもを何人も一緒に入れる活動です。つまり、活動自体が「リスクを上げる」ものなのです。それも、睡眠や食事のように人間として当然起こる活動ではなく、「リスクを上げて、わざわざする活動」、それがプール活動です。

 そうすると、睡眠時における「睡眠チェック」にあたる「監視」だけがプール活動において子どもの命を守る行動になります。では、見ていれば子どもの命を確実に守れるのか。カナダのライフセーバーたちは「無理だ」と主張するために、自分たちで実験しました。水深にかかわらず、水の中というのは見づらいのです。日本でも、毎年数人の子どもが公共プールで亡くなっています(報道されるものだけで)。資格を持ったライフセーバーが必ずいて監視をしているプールで、です。

 まず、プール活動というのは、子どもの死亡のリスクを上げる活動なのだということを認識してください。

監視は決して簡単な行動ではない

 保育園、こども園、幼稚園だけでなく、日本社会のあらゆる場所で「見守る、気をつける、注意する」という言葉が使われます。でも、人間の脳は、見守ることも気をつけることも注意することもなかなかできません。人間の脳はそもそも、「つい、うっかり、ぼんやりで、めんどくさい」+「私(たち)は大丈夫」の臓器なのです(※)

 そうすると、具体的な監視の行動が必要になります(「保育の安全シート3」として6月下旬に出します)。監視者は、子ども一人ひとりに自分の意識を明確に向けるため、指差し声出し確認をする必要があります。暑い中でこれを続けなければいけないのです。決して容易な行動ではありません。

 監視は「ただ、そこに立って見ていればいい」ではありません。動きまわる子ども一人ひとりが生きていることを、水という見えにくい環境の中で確認し続ける行動です。ですから…、

 プール活動自体の重大性と監視という役割の重大性を理解し、「私がします」と言う人だけが、監視を担当してください。

 「プールの監視は重大だから、したくない人はしなくていいよ」ではダメです。日本文化は(東アジア共通だと思いますが)、「できない」「したくない」「やらない」を言いにくい文化です。それも、下の立場の人、年齢の若い人が「できない」「したくない」「やらない」を上に向かって言えない文化です。だから、「したくない人、言って」では誰も手を挙げられません。

 そうではなく、「こういうことで、私は万が一の時に施設長としての責任をとる気があるけれども、みんなの中で『私も監視をします』という人はいる?」と訊かなくてはいけないのです。もちろん、プール活動をすると決めたのであれば、施設長がまず手を挙げるのが当然です。施設長が率先して監視をするべきです。でも、「『監視をします』と手を挙げる」も難しいかもしれません。集団のプレッシャーが働いて、本当はいやだけど「やります…」と手を挙げざるをえない場合も、この文化では多々あるからです。そうなると…。プレッシャーがゼロになるわけではありませんが、たとえば「明後日までに、『監視をする』という人は自分で名前を書いてこの箱に入れておいて」と、保護者のご意見箱のようなものを用意することぐらいでしょうか。

 そして、誰も「監視をする」と申し出なかったのであれば、施設長が「自分で監視をする」と言えないのであれば、あるいは、施設長等から見て明らかに「この職員に監視をさせることはできない」という人しか申し出てこなかったのであれば…。答えは明らかです。最後の例はいろいろな理由があると思いますが、監視行動自体、誰にでもできるものではありませんから、「誰でもいい」という考えはきわめて危険です。

 さらに、(「保育の安全シート3」にも書きますが)「監視をします」と言った職員が担当するプール活動の日であっても、体調が悪い、注意力が落ちているといった時には「今日は監視できません。プールを中止してください」と言える保障が必要です。逆に「私しか監視者はいないのだから」と無理をして監視をし、万が一の事態が起きた場合には…。それどころか、周囲が「大丈夫、見てるだけだから」「できるでしょ」と言ってしまって万が一の事態が起きた場合には…。でも、この文化は「今日はできません」が言えない文化です。そして、そもそも人間はこれまで続けてきたことをやめるのが苦手(例:運動会の組体操)、計画したことを中止するのが苦手なのです(例:気象警報が出ているにもかかわらず、行事等を強行して深刻事故につながるケース)(※※)。

※脳は常に働いているので、すきあらば別のことを考え、別の所に注意を向けようとします(集中しすぎていたら襲ってくる猛獣に気づけませんから、注意散漫なのは生き物としては当然)。そして、別のことを考えている時、脳には「今、別のことを考えてしまっている」という認識ができません。ですから、「ぼんやりしている(別のことを考えている)」時に「今、自分はぼんやりしている」とは気づけないのです。他人から「先生、大丈夫?」と言ってもらえれば別ですが。

※※人間(生き物)が基本的に変化を嫌うことは、心理学的にも明らかになっています。生き物は基本、「ずっとしてきたこと」を変えるのが嫌い、「新しいこと」を始めるのも嫌いなのです。

施設長は責任をとれますか?

 これは2011年、神奈川県大和市の幼稚園で起きたプール死亡事故で明らかになった問題です。その場で監視をしているはずだった新任教諭と園長が書類送検されましたが、園長は裁判中、「自分は責任を果たした」と主張して無罪となり、教諭は有罪となりました。その後の賠償請求では、園長の責任もあるとされていますが。

 職員が意図的な暴力を子どもにふるったというのであれば、園長が「私に責任はない」と言うのはある程度、理解できるかもしれません。けれども、不慮の事故で「私に責任はない」と言う施設長、そのような施設長の下で誰が働きたいと思うでしょうか。

 そして、園長ですら責任を免れ、その場にいた職員だけの責任になる。これが今の社会の現実なのだということを明確に理解してください。保護者でもなく、自治体でもなく、法人や企業の上層部でもなく、場合によっては施設長ですらなく、現場で監視をする職員が「自分たちが今夏、プールをするかしないか」「今日、プールをするかしないか」を決めるべきです。「きっと大丈夫」を言うのは簡単です。でも、深刻な結果(死亡や低酸素脳症による重体)が起きたら、その気軽な「大丈夫」が一生の後悔につながります。

 たいていの場合、深刻事故は起きません。これが「不慮の深刻事故」の怖いところでもあります。とても危険なことをしていれば必ず深刻な結果が起きるというなら、誰もしなくなるでしょう。でも、不慮の事故の世界では、とても危険なことをしていてもたいていは何も起きません。予防や対策をしていたらもっと起きないでしょう。そうすると、「予防や対策をしなくてもいいのではないか」と考えてしまう。でも、これまでどこかで起きている深刻事故は、必ずまたどこかで起きます。プール事故の場合、誰にいつ起きるかわかりません。そして、対策(監視)の効果は100%ではなく、起きた時の責任は重大です。園でプール活動をする義務はありません。つまり、「プール活動をしない」という選択肢は十分にあるのです。

「監視をしていた」という証拠を残すのは難しい

 これを読んで「プール活動をやめる」という決断をする園はまずいないのかもしれません。でも、これぐらい危険な活動なのだとわかって取り組むことが不可欠です。

 プール活動をする以上、監視以外には子どもの命を守る方法がない。監視をしていたかいなかったかが後で問われる。ということは、「絶え間なく監視をしていた」という証拠を残す必要があります。ビデオを撮ってください。ホームビデオでかまいません、監視者が確実に写る位置にホームビデオを設置し、監視者が監視行動をし続けていたという証拠を残すのです(公共プールでは必ずしています)。プールの中も写るようにしようにしようとしたらビデオ1台ではまかなえませんから、まずはとにかく監視者が写るようにします。

 とはいえ、ビデオには監視者の視線は写りません。深刻事故が起きた時に「監視者が立ってはいるが、本当に見ていたのか」という議論になる可能性をゼロにすることはできないということを理解してください。

私たちの園はなぜ、プール活動をするのか

 では、なぜ、あなたの園ではプール活動をするのか。その理由を書き出してください。あなたの園が考えるプール活動の価値です。保護者が考える価値でもなく、小学校が考える価値でもなく、自治体が考える価値でもなく、あなたの園が考える具体的な、プール活動の価値です。具体的に、みんなで書き出してください。

 皆さんが書き出した価値の反対側にあるリスクは、「子どもの死亡または脳障害」「施設長と監視者の社会的責任」等です。

 みんなで考えてください。価値とリスクの天秤は、どちらに傾いていますか? 価値がリスクよりも重いというのであれば、プール活動をなさるでしょう。リスクが価値より重い…、でもプール活動をすると決めますか? では、「プール活動をする」と決めた時にどうするか。それは来週、書きます(すでに「水の安全」に書いている要点を整理し直すだけですが)。

 まず、ひとつだけ。プール活動をすると決めるのであれば、6月中旬の段階でこの手紙を保護者に出してください。保護者の中には「うちの園はプール、大丈夫なのかな。監視はしているのかな」と思っている人が必ずいます。その人たちに「園はリスクをわかっています。無理はしません」と伝えるためです。一方、「とにかくプール活動をして」という保護者に「園はリスクをわかっています。保護者が何をおっしゃろうと無理はしません」と伝えるためです。

 なぜ、一度にプールに入れる子どもの数を減らさなければならないか。「保育の安全シート3」に書きますが、「ただ、プールの外に立って見ているだけ」では監視行動にはならないからです。指差し声出し確認をした時に、最初の子どもから最後の子どもまでの確認に10分もかかるなら、最初の子どもが沈んでいることに気づけない可能性があります。だから、一度にプールに入れる子どもの数は減らさなければならないのです(これまでに書いた内容としては、「4-1. 水遊び、プールの安全」の4と5)。

 今からでも遅くはありません。「価値よりもリスクのほうが上回る」「私(たち)は責任を負いきれない」と思うのであれば、プール活動はやめましょう。

 最後にひと言。この原稿を書いている時、主要新聞で園のプールの安全に関する記事が出ました。とりたてて特徴のある記事ではありません。「プール事故が起きている、こういうことをして安全を確保しようとしている園がある、調査でこういう結果になってる…」。記事の末尾にこの編集委員はこう書いています。
 「人数確保に工夫をし、穴のない監視に努めてほしい。」
 暑い夏の日、子どもたちが楽しみにしているからと、必死になってプール活動をしている保育者の苦労、「命を守らなくては」と真っ黒に日焼けして監視をしている園長や主任や看護師の苦労など、まるでないかのような、「監視など簡単にできるでしょう? なんでできないわけ?」とでも言いたげな、上から見下ろした偉そうな言い方。プール死亡事故が起きた時に、こういう人たちに「ああでもない、こうでもない」と報道され、分析され、一生、傷をひきずらなければならない保育者や施設長は二重にも三重にも傷つけられる。これが今の日本なのです。

 では、「プール活動をする」とお決めになったら、次の記事と「保育の安全シート3 プール活動」をお待ちください。


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