メイン画像

A-2. かみつき、ひっかきについて伝えていく(2016年3月6日)


 かみつき、ひっかき、ケンカによるケガを保護者にどう伝えるのか。かみつきやひっかきをした子どもの名前を、ケガをした側の保護者に伝えるかどうか。これは、現場でいつも話題(問題?)になります。

 新年度を機に、きっぱりと見方を変え、取り組みを変えましょう! 『「保護者のシグナル」観る・聴く・応える:保育者のためのコミュニケーション・スキル』(ぎょうせい、2013年)では、名前を伝えるかどうかという話を書きましたが、そのような考え方では事態はまったく改善されないと、現場の中でお話をうかがっているうちに私も気づきました。

 そこで、以下のように考えていきます。

1.大きな驚きは、大きな怒りに変わる

2.かみつき、ひっかき、ケンカは、「加害」「被害」ではない。あくまでも育ちの文脈の中で起こること

3.日々の子どもの育ちの文脈を保護者にどんどん伝える

4.子どもを観察できる、観察から学ぶ、観察を伝えられる保育者を育てる

5.補足:別の部分の怒りについて

6.2について、年度の初めに保護者に伝えておく(手紙のひながたも)


1.大きな驚きは大きな怒りに変わる

 予測していなかったことが起こると、人間は驚きます。けれども、「驚き」は一時的な反応ですから、じきにおさまります。「ああ、びっくりしたなあ、もう…」で消える場合もありますが、各種の感情を引き起こすことも多々あります。

「え~っ! そんなことがあったの! よかったねぇ」(喜び)
「え~っ! ネコ、死んじゃったの………」(悲しみ)
「え~っ! 5分以内に大きな地震が起こるって! ガス消して! 逃げなきゃ」(不安)
「え~っ! うちの子が噛まれて、こんなケガをしたんですか! 跡が残ったらどうしてくれるんですか!!」(怒り)

 どれも驚きから始まる感情です。そして、当然のことですが、驚きが大きければその後の感情も大きくなります。反対に、人間は予測していたことが起こった時には、驚きも小さく、引き起こされる感情も相対的に小さくなります(「宝くじ、やっぱり当たらなかったね」=驚きも感情も小さい、「うわ! 100万円当たった!!」=驚きも感情も大きい)。

 これでもう、答えがひとつ、おわかりになったと思います。かみつきやひっかき、そしてケガに対する保護者の反応を小さくするためには、かみつきやひっかき、ケンカ、そして、その結果であるケガを「思いもせずに起きた非日常のできごと」にせず、「起こるとわかっていた日常のできごと」にしていくのです。


2.かみつき、ひっかき、ケンカは、「加害」「被害」ではない。あくまでも育ちの文脈の中で起こること

 かみつきやひっかき、ケンカに関する最大の問題点は、「加害」「被害」という、あたかもその子に悪意があったかのような言葉が出てくることです。これは、子どもにも保護者にも、もちろん保育者にも悪影響を与えます。

 まず、こうしたできごとを、「ケガをさせた子ども=加害者」「ケガをした子ども=被害者」という文脈で語るのは、明らかに間違いです。AちゃんがBちゃんのおもちゃで遊びたくて、Bちゃんがまだ遊んでいるのに取ろうとした。Bちゃんは「やだ!」という気持ちでAちゃんにかみついた(または、ひっかいた)。Aちゃんは加害者でしょうか? 違います。自分の要求がなによりも先に立ち、かといって言葉で要求をうまく表現できない子どもにとっては、「おもちゃを取る」という行動も「かみつく」「ひっかく」という行動も当然であり、加害でも被害でもないのです。

 現場で見ていると、多くの保護者が「加害」「被害」という文脈で考えているようです。そうすると、「被害児」の保護者が怒るだけでなく、「加害児」の保護者の中にも、「うちの子がそんな悪いことをするなんて」と落ち込む人、子どもを怒る人が現れます。子どもを叱りつけたり、罰したりする保護者も現にいます。これでは、子どもの育ちに悪影響が出かねません。子どもの成長を受けとめられずにいる保護者自身もかわいそうです。

 未就学児に、「相手を傷つけよう」という意図がないのは明らかです。そもそも、かみついたりひっかいたりしたら相手がケガをするという認識すらありません。「かんだら痛い」「ひっかいたら痛い」という事実すら、自分がかんだりひっかいたりした結果や、かまれたりひっかかれたりした結果から学んでいく時期なのですから、「加害」「被害」というおとな社会の言葉を使うこと自体、子どもの育ちと学びをないがしろにしています。


3.日々の子どもの育ちの文脈を保護者にどんどん伝える

 では、どうすればいいのか。かみつき、ひっかき、ケンカと、それによって起きたケガだけを特別扱いするのではなく、子どもの育ちの中で保護者に伝えていけばよいのです。

 1で述べたように、人間は予測していなかったことに直面すれば驚き、場合によっては怒ります。けれども、「起こるだろうな」とわかっていれば、さほど驚かず、結果的に怒りも小さくなります。なによりも、かみつきやひっかき、ケンカ自体が成長の中ではごくあたりまえのことだという理解が、保護者にも生まれます。

 保育の中で、かみつきやひっかきが起こりそうな時は無数にあります。でも、たいていは保育者が止めます。または、「ひっぱらないで、『かして』と言ってごらん」と保育者が言うことで子どもが言葉で伝えられます。つまり、予防できた事例や保育の成功事例がたくさんあるのです。これを、こまめに連絡帳で伝えましょう。「子どもがおもちゃの取り合いをした様子なんて、保護者に言いたくない」と思うのでしょうか? いえ、それ自体、子どもが他人と関わりを持ち、その中で自分のしたいことやしたくないことを伝え、がまんすること、待つことを覚えることなのですから。

 たとえば、「Aちゃん(本人)は、Bちゃんの持っていた電車をほしいなと思ったのでしょう、手を伸ばして取ろうとしました。でも、Bちゃんが『やだ』と電車をひっぱり、目の前にあったAちゃんの手をかもうとしました。私が『Aちゃん。Bちゃんが使っているんだから、取らないで。かして、って言ってみて』と話したら、Aちゃんは『あ~して』と言いました。だんだん、伝えられるようになっていきますね」とAちゃんの連絡帳に書けば、保護者は自分の子どもの行動を「良い悪い」ではなく、成長として受けとめられます。その文脈がある中で、AちゃんがBちゃんにかまれる(ひっかかれる)できごとが起きても、Aちゃんの保護者は「Bちゃんが悪い」とだけ思うことはないでしょう。

 そして、AちゃんとBちゃんがいつも一緒に遊んでいて、その中でいろいろな関わり行動が生まれていると保護者にわかっていれば、かんだ、ひっかいたというできごとがあった時に、「誰がいけないんだ!」という話にはなりません。連絡帳を読んでいれば、それはすぐにわかることだからです。つまり、かみつきやひっかきをした「加害児」の名前を「被害児」の保護者に伝えるかどうかという議論自体、なくなります。

 そして、Aちゃんの保護者とBちゃんの保護者を、お迎えなどの時に引き合わせておきましょう。「いつも一緒に遊んでいるAちゃん(Bちゃん)のお母さん/お父さんですよ」、…子ども同士のつながりが見えるようにしつつ、おとな同士もつなげていけば、「その親に謝らせろ!」ということも起こりにくくなります。

(ここでは、AちゃんとBちゃんのペアの話で進めてきましたが、子どもの関わりも、かみつきやひっかきの方向も変わっていきます。必ずしも2人の間で起こるわけではありません。そのあたりは「今、どの子の保護者に、なにを特に伝えていくべきか」を考えて、伝えてください。)

 もうひとつ、関わり以外に「歯が生えてくる時のむずがゆさ」が原因となる場合もあるそうですから、口の中の様子もあわせて伝えていくことが大事なのでしょう。


4.子どもを観察できる、観察から学ぶ、観察を伝えられる保育者を育てる

 連絡帳になにを書いたらいいかわからず、「今日はみんなで~をして遊びました」「今日は○○ちゃんと遊んで楽しそうでした」「~をしている姿がかわいかったです」というような文章ばかり書いている保育者もいます。保護者がこんな文章ばかり読まされていて、ある日突然、「あなたのお子さんがかまれました」と言われたら…? 驚くのは当然です。保護者には、子どもの関わりあっている様子がまったく見えていません。かみつきもひっかきも、本当に青天の霹靂(へきれき)です。

 「子どもの関わりの様子を観察して、連絡帳に書こう!」、園でそう決めたとしても、いつも同じ文章を書いている保育者、連絡帳例文集の文章を丸写ししている保育者には、観察も記述も簡単にはできるようになりません。あるいは、子どもの観察ができる保育者ならばその姿を保護者に伝わるよう記述できる、というわけでもありません。観察は観察、記述は記述で、独立したスキル(※)ですから、どちらもトレーニングを続けることが不可欠です。

 これは「連絡帳を書くため」ではなく、ましてや「かみつき、ひっかきのトラブルやクレームを減らすため」でもありません。保育スキルを高めるためです(そもそも、こうしたできごとを「トラブル」や「クレーム」という否定的な枠組みで語ること自体が、保育者、保護者双方の認知を歪め、コミュニケーションを難しくします。かみつきやひっかきに限りませんが、「トラブル」「クレーム」「苦情」と安易に決めつけないでください)。

 子どもを観察できるようになっていけば、保育は楽しくなります。「この子ども(たち)は、どこまでなら介入しなくてよいか。どこの時点で(深刻な結果を防ぐために)絶対に介入しなければいけないか」もわかるようになるはずです。そして、観察した事実を伝わるように記述できるようになれば、保護者とのコミュニケーションも園内のコミュニケーションも良くなるでしょう。

(「じょうずな文章」でもなければ、「保育者の思いが伝わる文章」でもありません、まずは、「自分が見た事実が伝わる文章」です。現場で見ていると、これを書ける保育者は非常に少ないと言わざるをえません。私はずっとケガやヒヤリハットの記述を読んできましたが、「事実が伝わらない文章」ばかり…。ここから取り組まなければと、今、真剣に思っているところです。おたよりの文章については、掛札個人のサイトの「その他」の「日本語」でお伝えし始めていますが。)


5.補足:別の部分の怒りについて

 「かみつきやひっかき、ケンカが起こる」という部分に関しては驚きや怒りが小さくなったとしても、もちろん別のところに驚きや怒り、不安が起きます。

 たとえば、「なんで、3日連続でかまれたんだ!」(繰り返すことに対する驚きと怒り)、「見てなかったって、どういうことですか!」(保育者が状況を把握していないことに対する驚きと怒り)、「お風呂に入ったら歯型があった。なんで言わなかったんですか」(伝えなかったことに対する驚きと怒り)、「跡が残ったらどうしてくれる?」「こんなに痛がってる!」「仕事に行かなければいけないのに、病院へ行く時間なんてありません」…。

 こうした驚きや怒り、不安も当然起こるもの。ですから、ひとつひとつに対応する以外、方法はありません。そしてそれぞれ、かみつきやひっかきに限ったことではない内容ですから、取り組んでいけば成果が得られます。

(1) 保護者の感情をきちんと受け止め、そのような感情を引き起こしたことについては、明確に謝罪する。「かみつきが起きてしまって申し訳ありません」ではなく、「ご心配をおかけして、申し訳ございません」「お伝えしなかったこと、お詫びします」「お手間をおかけします」です。

(2) なぜ、繰り返すのか。かみつき、ひっかきだけでなく、同じクラス、同じ子どもでなにかが繰り返される場合には、保育、または子どもについて検討する必要があります。「かみつき、ひっかきは当然」とは言っても、同じ子どもが日に何回もかまれたりするのであれば、それは別の話でしょう。

(3) 「見ていなかった」は、今の人員配置では解決が困難な場合もあると思います。「全員をいつも見ていることは、ほぼ不可能」ということを保護者に伝えられればいいのですが…。「これから見ているようにします」と言っても、見てはいられないのが人間ですので、これは絶対に言うべきではありません(また同じことが起きたら、信用を失います)。……ここが一番難しい……。

(4) 跡が残ることについては、「残りません」と言い切ることはできませんので、「傷あとが残りにくい絆創膏(保護パッド、テープ)を使います(使いましょう)」と伝えるなどします。子どもが傷の部分をさわらないようにすることも大切です(こうした製品はいくつもありますから、調べてください)。


6.2について、年度の初めに保護者に伝えておく

 「かみつき、ひっかき、ケンカは起こります」という内容は、入園の時に書類等でお伝えになっていると思います。そのひながたも、ご参考までにこちらに置いておきます。(このひながたは、福井市民間幼児教育連盟の加盟園の園長先生方に、まずご覧いただきました。ありがとうございます。)

 いずれにしても、「起こります」と4月に言うだけでは、まったく足りません。保護者は「うちの子がかみつかれる(ひっかかれる)」「うちの子がかみつく(ひっかく)」とは、思ってもいないからです。4月に聞いたこと、読んだことは、自分とは無関係な内容として忘れ去られます。

 だからこそ4月の段階では、「お子さん同士の関わりの様子を、連絡帳などで逐一お伝えします」とも書いておき、その後、子どもたちの仲が良い様子だけでなく、ケンカをしている様子、自我をあらわにしている様子、駄々をこねている様子なども事実として、継続的、日常的に伝えていく必要があります。それは、日々の子どもの姿と育ちを伝えることにほかなりません。


※スキル:トレーニングや経験を通じて、知識や技術などを適時、適切に、意識して使えること。応用力。知識や技術に上乗せして身につけていくもの。(『子どもの「命」の守り方』、28ページの脚注)

★かみつき、ひっかきの基本については、特に北野久美先生(北九州市、あけぼの愛育保育園園長)にいろいろと教えていただいています。北九州市保育士会編著の『自我の芽生えとかみつき:かみつきからふりかえる保育』(蒼丘書林)を参考書籍として挙げさせていただきます。


このページの一番上に戻る

ご感想やご質問などは、こちらにお寄せください