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8-1 (2). 気象災害の続き。災害と事故の「想定力」

(2019年11月9日、「職員の命を守る」の項に12月19日加筆

 職員の命を守る、停電・断水、「拠点園」を設定する、園が自主避難所に…。こうしたことすべてに対応するための「想定力」…。この項は8-1の続編です。8-1がすでに長く、あちらに加筆しているとわけがわからなくなりそうなので、続編とします。

2019年夏の教訓:重要なのは「柔軟性」と「決断」

 まず、去年の台風や大雨、土砂災害に続き、2019年9月の台風15号、10月の台風19号は、さまざまな教訓を残しました。保護者リスク・コミュニケーションの部分では、8-3に加筆してきた通りです。

 2019年の事象を受けて、厚生労働省は保育施設に関しても実態調査を行い、休園等のガイドラインをつくるそうです。国や自治体が何を決めたとしても、目の前で今、災害が起きようとしているのを目の当たりにするのは、一つひとつの園であり、施設長であり、一人ひとりの職員です。下に書いた通り、国や自治体に「できないことはできない」と言うことも重要ですが、国や自治体が自分たちの都合や体面で何を決めてこようとも、最終的に命を守る責任を負うのは園であり、職員であるという点を忘れないでください。「国が決めたから従わなければ」でもなければ、「自治体が決めたのだから、その通りにしていればよい」でもありません。特に災害予測と対応において重要なのは、「柔軟性」と「決断」です。「自治体に言われたから、こうすれば大丈夫なはず」は、現場の柔軟性を放棄しています。「国はこう言っているけど、川は決壊しそうだよね…。どうしよう…」では、決断が欠けています。柔軟性と決断は、保育においても重要ですが、特に災害において「命を守ること」を人任せにしないためには不可欠です。そして、日常から保護者や地域と共に災害対応に取り組んでいれば、国や自治体が何を言おうと、柔軟性と決断力をもって災害予防・対応ができます。以下の通りです。

大川小学校、市と県の責任が確定

 2019年10月11日、重要な最高裁判決が出ました。東日本大震災時の大川小学校(石巻市)の人的被害について、市と宮城県の責任が確定したのです。「市のハザードマップにおいて大川小学校は津波の浸水想定区域外だったが、検討していれば被害は想定できていたはず」「災害時のマニュアルが不備、不十分」との判断です。

自治体は民間保育園に「開所しろ」と言ってはいけない

 「そうか、自治体の責任が問われたのか。じゃあ、自治体に決めてもらわねば」、公立保育園はそうかもしれません(公立の施設長は自分の自治体に確認してください)。でも、私立園は違います。私立園は園の責任になります。「想定外」だった東日本大震災の津波ですら、県の責任が問われているのです。より想定のしやすい降雨関連の被害については、ほぼ間違いなく園の責任を問われるでしょう。

 ですから、8-1に書いた通り、(私立園だけでも)自治体には「開所せよ」と言う権限はないという点を認めさせる必要があります。「自治体が『開所せよ』と言って人的被害が起きたら、大川小学校と同じことになります。あなたたち、自治体の責任ですよ」、それだけのことです。今、自園の裏で増水しつつある川を見ているのは、先生たちです。役所で(時代遅れの)ハザードマップを眺めて、受話器越しに「まだ大丈夫」と言っている人たちではありません。そして園、園を支援する法人や企業の側には、確実に子どもと職員の命を守るための想定力(下記)が重要になります。

ハザードマップは更新されているか?

 まず、自分の自治体でハザードマップが改訂されているかどうか、確認してください。ハザードマップはもともと、「50~100年に一度の大雨」を想定して作られていたそうです。けれども、2015年に水防法が改正され、「1000年に一度の大雨を想定する」よう定められたのだそう。

 今年の台風害において、水害の想定区域外でも多数の死亡者が出、実はハザードマップが改訂されていない自治体も多いことがわかってきました。8-1の冒頭に書いた通り、地球の気候は変化しています。日本列島周辺の海水温は急速に上昇していますから、従来の「100年に一度」ぐらいの大雨は普通になるかもしれません。それが続けば、これまで地すべりや土砂崩れが起きなかった地域でも、被害が起こる確率が上がるのです。

 たとえば、日経新聞が2019年9月末までにまとめた調査結果によると、都道府県管理下にある1643河川のうち375河川(23%)で、洪水ハザードマップの作製に必要な浸水想定データが「1000年に1度の豪雨」の降雨基準になっていませんでした。23%の河川では、豪雨リスクを低く見積もったままなのです。一方、国が管理する448河川はすべて、新たな浸水想定地域の指定が済んでいます。

 一方、浸水想定自体は新しくしていても、それをハザードマップ上に反映するには時間がかかります。国土交通省によると、2019年3月末時点で、ハザードマップが最新版だった市区町村は全体の33%にとどまっているとのことです。

(以下、2019年12月9日加筆)
 自治体でみると、自治体が管理する全河川の指定を終えたのは、18道県のみ。浸水レベルをコンピュータ上で試算する作業に必要な予算と職員の不足が足かせのようです。たとえば、埼玉県は全自治体の中で唯一、新基準を用いた区域指定が対象18河川すべてになされていませんでした。千葉県では、26河川中1つだけが指定済。岡山、高知、沖縄、大阪も対応済河川が3割に満たないようです。対応が終わっていない河川数が最も多いのは、広島県と山口県の各37河川でした。(以上、11月13日の日経から)

 兵庫県のように、県が管理する河川の指定を終え、ウェブサイトで公表している自治体もあります。ですから、手元にあるハザードマップの発行年が新しくても、そこに載っている想定が「1000年に1度の想定」になっているとは限らないという視点で、自治体の情報をチェックしてください。兵庫県の場合、「50~100年に1度の降雨」を「1000年に1度」の想定にした結果、これまでは「浸水しない」とされていた12水系で浸水が発生し、浸水面積は最大でこれまでの150倍以上に拡大しています。

 想定だけではなく、災害時の情報発信にも問題があることが、2019年の台風19号の時、明らかになりました。茨城県内の河川では氾濫発生情報(警戒レベル5)が国交省から出なかったのです。この台風では、県内の那珂川、久慈川の計20地点で越水、溢水、堤防の決壊が発生、同事務所は把握していたのですが、那珂川についてはまったく情報を出さず、久慈川では決壊した1地点で情報を出しませんでした。また、国交省所管の常陸河川国道事務所(茨城)では、他の3河川についても警戒レベル4相当の水位情報を出さず、結果的に住民の避難行動に影響した可能性もあるとされています。

 茨城県外でも、氾濫発生情報が出た2河川(吉田川、千曲川)、氾濫危険情報が出た6河川(鳴瀬川、吉田川、竹林川、鬼怒川、鳥川、碓氷川)で住民向けの緊急速報メールが配信できていなかったことが確認されています。

 情報が発信されなかった原因として考えられているのは、情報を出すシステムが河川事務所と気象台の「二重行政」になっており、発表には両者の決裁が必要な点です。また、緊急速報メールの配信は、河川事務所の上級庁となる地方整備局の決裁が必要なるなど、手続きが複雑なのだそうです。特に台風19号の場合、担当事務所内で生じた氾濫発生数が20か所と多く、「相当な混乱が生じた」結果、情報を発信できなかったと考えられているようです。

 問題はまだあります。現在、雨量予測に基づく大雨特別警報はありますが、河川の水位予測に特化した洪水特別警報はありません。災害がすでに発生している可能性が高い「警戒レベル5」相当の情報は、洪水の発生を直接確認しないと出ない「氾濫発生情報」しかないのです。「洪水の発生を直接確認」ということは、すでに被害が発生しているわけで…。それも、氾濫発生情報は、氾濫の発生を確認した地点ごとに発表しなければならないそうなので、現実には意味のない情報だということになります(指定河川洪水予報は、水位上昇に応じて「氾濫注意情報」「氾濫警戒情報」「氾濫危険情報」「氾濫発生情報」の順)。

 こうした問題から学ぶべきは、「ハザードマップに載っていないのだから大丈夫」「自治体から情報が出ていないのだから大丈夫」と考えることの危険性です。降雨情報や河川情報はネット上で逐次更新されますから、そうした情報をもとに園は早めの判断を下す必要があります。「警戒レベル5」の状態で避難するのは、園の場合、かなり困難だからです。(ここまで加筆)

職員の命を守る

 もうひとつ、2019年の台風19号で、避難所の開設作業をしていた福島県南相馬市の職員が、翌日の仕事のため、帰宅指示を受けて帰宅する途中の深夜0時半以降、川の増水に巻き込まれて亡くなりました(「車が水没し、脱出した」という電話が最後)。この事故で、市は第三者委員会を設置するそうです。(あの雨の中、何も見えない深夜に帰宅「指示」を出したこと自体、責任を問われる点ですが、)これからは職員の命が奪われるリスクを明確に意識し、予防することも不可欠になります。こちらも園(法人、企業)の責任を問われていくようになるでしょう。

 余談ですが、この死亡事故に関して市の担当者は、「このような事故が起こらないよう事実関係を検証し、将来の礎としたい」と話したそうです(一番下の※)。亡くなった人はもう何も言えません。「将来の礎に」と言えば美しいかもしれませんが、亡くなった人とその家族にはなんの慰めにもならないのです。また繰り返されたら、腹が立つばかりでしょう。だから、類似した事故や災害被害が繰り返されないようにする取り組みが不可欠なのです。

(以下、2019年12月19日加筆)
 この件に関連して、自治体によっては「次の日に開所が可能かどうか、災害時には園の施設を確認せよ」という責務を園長等に課している所があるようです。地震後や台風時です。これは絶対にやめてください。地震後に(夜間でも)園へ確認に行き、次の地震や土砂崩れ等で職員が死んだら自治体や運営母体が責任を問われます。台風でも同様です。この確認は「次の日に朝から開所する」という前提のためにしていることですから、この前提を「次の日は、十分な保育をできない可能性がある」と変え、保護者に4月1日の段階で伝えておけば済む話です。

簡単かつ合理的な判断基準を出した自治体も

 実際、8-1に書いた京都市が2019年11月に出した『災害時における所管施設の対応方針』以外でも、2018年に深刻な水害を受けた岡山県倉敷市が2019年に出したマニュアルのように、簡単かつ合理的な判断基準(園は子どもの集団ですから、実際には「避難準備」が出そうだという段階で避難の準備をするべき)を示した上で、「あとは施設が決めてください」とする自治体が増えてきています。また、2019年の台風19号の時、東京都世田谷区のように「休園」と通知した自治体もあります。

開所を強要したと言われる自治体も

 一方、浸水被害を受けかねない自治体で、台風19号が近づくなか、「職員を全員出勤させろ。あとで出勤簿を提出しろ」と言ったという話も聞きました(嘘だと思いたいですが)。同様の地域で「開所しろ。(人的)被害が出たら自治体が責任をとる」と言ったという話も聞きました(嘘だと思いたいですが)。

 こうした対応をとって人的被害が出たら、本来、すべて自治体の責任なのです。自治体にこういった理不尽かつ危険な指示をされ、指示に従わざるを得ないと思って行動するのであれば、必ず、次のことを実行してください。その時のコミュニケーション内容をすべて記録する(日時、どのような会話の中で誰が何と言ったのか)。そして、水害で流されない場所にその記録を置いておく(会話をした本人が亡くなってしまうリスクも考え、メモを複数人にメール送信しておくのが一番確実)。自治体の誰かが指示を出したという証拠を残しておかなかったら、「園が勝手に開所した」と言われかねません。

自治体が「休園」を宣言するのは効率的か?

 さて、自治体が「保育園も休園する」と通知を出すのは、一見よいことのように見えますが、警察、消防、自衛隊、水道、電気等の職業に就いている保護者は困ってしまいます。かといって、「うちには1人、該当の保護者がいるから」と、災害の危険がある場所で開所するのも理にかないません。どうするか。園長先生方と話してきた結果、年末年始保育同様、「拠点園」を自治体内で決めておき、申し込み制で預かる方法が一番良いと考えました。

拠点園で、近隣の保育者が「柔軟に」保育を

 公立園がある自治体は、公立園が拠点園になります(税金で直接、運営しているのですから当然です)。もちろん、災害被害を受けにくい園を拠点園にします。職員は? その園の職員が遠くから出勤するのは危険です。保育者は拠点園の近くに住む人なら誰でも可。「うちは小さい子がいないから」「歩いて10分だから」といった保育者さんたちが事前に登録しておき、「全体は休園。拠点園で申し込み保育」となったら、自主的に拠点園へ行けばいいのです。これくらいのことで「日給を払え」と言うほど、心の狭い人はいないと思いますが…。これが「柔軟性」です。

災害後の停電や断水、携帯不通

 これは8-3にも書きましたが、台風一過の青空のもとでも停電や断水が続くケースは多々あります(地震後も)。ですから、「台風は過ぎたのだから通常通りの保育」はありえません。台風が来る前、あるいは大雨が続きそうだという時には、「停電や断水のもとで、通常の保育を行うことはできません」と保護者に(できる限り早めに)伝えます。

 台風の次の日は暑い場合が多いのです。そのなか、子どもや職員に熱中症が起きたら? 園の責任です。できないことははっきり「できません」と言いましょう。できないことを「できる」と思いこんで頑張るのは、この文化の過去の歴史の中では美しかったのかもしれませんが、今は違います。できないことで無理をして、できないことを「できない」と言わずにいて、そして被害が出たら、園の責任なのです。自治体に「通常通り開所しろ」と言われたら? 「『通常の保育は無理です』と保護者には伝えました。おいでになったお子さんたちは全力で預かりますが、命の保障を100%できると断言はできません」と毅然と伝えてください。

(以下、2019年12月9日加筆)
 2019年の台風では、停電と断水に加え、携帯/スマホもまったく使えなくなった地域がありました。「家の中が雨漏りや割れたガラス等で大変なので、片付ける間、子どもを預かってほしい」という要請が保育園にあったそうです。園が危険でないならば預かってよいと思いますが、この場合は、「おわかりの通り、こちらからもそちらからも連絡は取れません。何かあっても連絡はできません。それをご了解いただければ、お預りします。△時に必ずお迎えに来てください」とはっきり言いましょう。

 また別の事例では、停電で下水ポンプが動かなくなり、数日間、開所した後に、衛生上、園を開けておくことができなくなったケースもありました。この場合は、自治体から「衛生を確保できないので、やむをえず休園にします」という連絡が保護者に発信されました。子どもの安全、衛生を考えれば、「無理です」と言わざるをえない状況はあるということになります。「とにかく頑張って預ります」では、子どもの安全も健康も守れないのです。(ここまで加筆)

保育園が「自主避難所」になるケース

 さらにもうひとつ。台風や水害想定時、保育所に近隣の住民が「自主的に」避難してくるケースがあります。特に2階建て以上のコンクリートの建物だと、周囲の平屋からは安全に見えるのかもしれません。けれども、被害想定地域内の場合、この「自主避難」には意味がありません。また、地域の高齢者が避難してくる場合、各種の医療機器や薬を持っていらっしゃることもあります。ですから、避難所に指定されていない施設の場合には、自治体に確認しておいてください。そして、よほどのことがない限り、「この施設は避難所に指定されていませんので、ここに避難なさって問題が発生した場合、責任をとることはできません」と地域に伝えておくべきです。

 2019年の台風19号の場合、関東南部で最も風雨がひどかったのは土曜日の午後から深夜にかけてでした。そのため、園児はいない状態で、地域住民の「自主避難所」になった保育園がありました。「自主避難」とはいえ、施設長や残った職員は住民のケアをしなければなりません。同じことが、園児のいる平日の昼間に起きたら? …そう想定するなら、まずは上のように「この施設は避難所ではない」と地域に伝えておく。保護者には早めに「~ですから登園をお控えになるようお勧めします」(8-3)と伝えて、登園園児数を減らしておく。そして、危険になってきたと思ったら、園自体が地域の先陣を切って(「避難準備」またはそれ以前)に、指定された避難所に避難する。鍵がかかった園には、地域住民も入れません。なにより、風雨がひどくなってから子ども連れで避難するのは、きわめて困難なのです。

 ところが…。避難準備になったから避難しようとしても、避難所そのものの準備が間に合わないという例を今回、指摘されました。うーむ。この点はまた情報収集して、加筆します。

想定力を身につける

 では、「想定力」です。この言葉は、上に紹介した倉敷市のマニュアルを教えてくださった園長先生と会話をしていて出てきた言葉です。「想定力」と自分で言ったものの、「はて、なんだろう?」と。心理学では、その場で使っている言葉の定義を明確にしなければ進めません(操作的定義、operational definition)。だから、考えました。今のところ、以下の通りです。

 まず、工場の生産ラインや鉄道・航空、電気や水道などの社会基盤サービスの場合は、とにかく「リスクをゼロに近づける」ことが重要になります。ですから、「最悪」の想定もそれなりに容易です。ところが、保育の場合は「集団保育や活動の価値」とリスクとの天秤(トレードオフ)をどうしても考えざるをえません。どこまでを「価値に必然的に付随するリスク」と言って容認し、どこからを「価値よりも大きいリスク」として予防するか。この線引きが各園で必要になります。災害だけでなく、ケガにつながるようなできごとや命を奪いかねないできごとでも同様(1-71-8A-1)なのですが、ここでは災害を主たる例にします。

想定力、段階1

 自園における最悪の状況を予測する。これは、比較的容易です。災害で言うと…、川があるなら氾濫、傾斜があるなら土砂崩れ、海があるなら高潮や津波、土地が低いなら浸水などなど。川がないのに氾濫を考える必要はありません。

 子どもの事故でも同様です。息ができなくなったら、最悪、死亡や脳障害。ケガにつながるようなできごとであれば、最悪の結果は頭などを強打すること(詳細は1-86-1)。

想定力、段階2

 上の段階をしている間、人間の脳に必ず生じる「こんなひどいことは起きないだろう」「今まで起きていないのだからきっと大丈夫」(=楽観バイアス)と闘う。最悪を考えるというのは、「悪いことを考えて悩む、落ち込む」ではなくて、「合理的、科学的に考えて起こりうる最悪の可能性を予測する」です。

想定力、段階3

 「起こりうる最悪」を考えたら、その最悪を予防、またはその害を減らすために何をできるかを考えるわけですが、その前にひとつ、大事な段階があります。

 自分(たち、園)は、どこまでのリスクを許容できるか、許容するべきだと考えるか。どこから先のリスクは許容できないと考えるのか。その線引きをすることです。これは個人、あるいはその園の理念にもつながる部分なので、一概には言えません。

 まだお読みになっていなかったら、ぜひA-1の「ISOが言うリスク・マネジメント」をお読みください。保育園が抱えるリスクには、常に価値があります。リスクをゼロにしようとしたら、価値もゼロになってしまう可能性があります。

 災害で言うと、たとえば、土砂崩れで園が流されるリスクがあるのに、「とにかく園にとどまる」という選択肢はありえません。でも、高台にある園なら、「園にいたほうがいい」という判断はありえます。また、「これくらいの予想総降水量なら、強雨のなか避難するよりも園にとどまったほうがいい」という判断もありえるかもしれませんし、同じ園でも、「この予想総降水量では、氾濫の危険がある。雨が強くなってから〇〇人の子どもを連れて避難することは難しいので、雨が弱いうちにお迎えの一斉メールをして、避難をしよう」という判断が必要なことがあります。

 子どもの事故で言えば、「このできごとで起きたケガは、私たちの保育の価値から生じるものであり、許容する」「このできごとで起きたケガやヒヤリハットは、私たちの保育の価値からはずれるから、許容しない」、この線引きです(A-11-8)。

 この線引きがはっきりしていないと、対応がその場その場になってしまい、一貫性を失います。もちろん、「これまでにない災害」の場合にはその場の判断も重要です。でも、これまで、日本じゅうではさまざまな災害や事故が起きているわけですから、これまで起きた災害や事故の範囲内(=想定内)では線引きをできるようにしておくべきでしょう。だからこそ、段階2の「『こんなことが私たちの園に起きるはずがない』を意識的にはねかえす」過程が大事なのです。どこかで起きた災害や事故、それと条件が類似していたら、あなたの園でも起こる可能性があるのですから。同時にこの時、「この災害は休日だったけど、もしも平日だったら?」「これは夜に起きたけど、もしも登園時間だったら?」などなど、条件を変えた想定も重要です。

想定力、段階4

 「私(たち、園)の価値とリスクの線引きはここ」と決めたら、リスク対応において「できること」「できないこと」を線引きします。そして、その線引きを4月の段階で、大枠、保護者に伝えておきます。人間は、冷静な時に聞いた合理的理由はそれなりに納得するからです(A-4の1。リスクに直面した時に伝えると、相手の怒りにもつながります)。そして、「このように保護者に伝えました」と自治体にも伝えておきます。

 もっとも簡単な例は、「この地域には、〇〇のような災害ハザードがあります。災害だけでなく、その後に停電や断水が起こる可能性もあり、十分な保育ができない可能性があります。お子さんや職員の命を危険にさらすかもしれません。早め早めに必ずお伝えしますので、家庭でみられる場合は登園をお控えになるようお勧めします」と伝えておくことです。これは、保護者に地域のハザードを伝えることでもあります。「保育園なのだから、安全だろう」はありえませんから。

 また、たとえば事故の場合、「散歩中の交通事故はできる限り防ぎたい。だから、経路を明確にし、リスクの低い経路を歩き、子どもが飛び出したりしない手のつなぎ方、歩き方をする」=できること、です。「でも、車が起こした事故の巻き添えになることは、私たち歩行者側の取り組みでは予防できない(例:池袋、大津、市原の事故)。それは交通行政がすべき努力」=できないこと、です(詳しくは6-3)。できること、できないことを切り分け、できることを具体的にするための方法を明らかにし、すべて保護者に共有していきます。

 これが「想定力」だと私は定義しました。どうぞ、皆さんのご意見もお聞かせください。

※100%、車の側の不注意のため、私の側にはまったく非がない状態で2度(2004年と2012年)、車にぶつかられ、いずれも死んでいたかもしれない経験をした者として、言わせてください。災害や事故の結果は、常に「運/確率」に左右されます(前を見ないで右折してきた車の、ちょうどその先を歩いていたのも運/確率。死なずにすんだのも運/確率)。

 そして、生き残った人は、なんでも言えるのです。「死人に口なし」です。たとえば、東日本大震災の時の話で、「園にいた子どもはみんな生き残った。でも、家に帰った子どもは家族と…」「私たちはこの方法で逃げられた。でも、あの人たちは…」と聞きます。これはあくまでも、結果的に生き残ったから言えることであり、亡くなった人たちの選択や行動を責めるかのような文脈では、決して言ったり解釈したりしてはいけないと思います。

 ちなみに、「東日本大震災の時、保育園では誰も亡くならなかった」は間違いです。園の判断ミスで子どもは亡くなっています。でも、山元町のこの事例は報告遅れのためにほとんど報道されず、「保育園では子どもが亡くならなかった」という神話が流布してしまいました。

 たとえどんなに正しい判断をしても、たとえ非がまったくなくても、人の命が奪われることはあります。命がそのようにして奪われる可能性が誰にでもある以上、毎日、奇跡的に生き延びている私たちは、自分の命も、目の前にいる子どもたちの命も「生きていて当たり前」「普通に育って当たり前(そもそも『普通』とは何でしょう?)」と思ってはいけないのです。これは保護者の人たちにも思ってほしいことです。「他人に自分の子どもを預ける以上、リスクがあって当たり前。だから、子どもと一緒にいる時間をできる限り長く、意味のあるものにしよう」と。

 人間は、子どももおとなも簡単に死ぬ生き物です。だから、命は大事なのです。だから、想定する力、柔軟性、決断は不可欠なのです。自治体の判断ミスで殺されて、勝手に「将来の礎」にされるなんて、亡くなった人にとってはどんなに無念なことでしょうか。

 最後にもう一度。災害や気象事象において子どもの命を守る方法は、おとな(保育者、保護者)が柔軟性と決断力をもって判断を下し、判断に沿った行動をすることだけです。熱中症(8-2)にも書きましたが、被害を予防しうる災害で子どもが死んだら、それは判断ミスをしたおとなの責任です。熱中症を含む災害や気象事象においては、「きっと大丈夫」という認知バイアスに依存することは危険であり、「もしかしたら最悪のことが起きるかもしれない」という意識的な想定をするべきです。そして、気候と気象が変化しつつある今、「今までは~だったから」ではなく、「これからはどうしようか」という思考を、保護者も地域も巻き込んで進めていくことが不可欠でしょう。


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