A-3. かみつき、ひっかきについて伝える
(2016/3/6、2021/7/17)

 かみつき、ひっかき、ケンカによるケガを保護者にどう伝えるのか。かみつきやひっかきをした子どもの名前を、その保護者に伝えるのか? ケガをした側の保護者には伝えるか? 現場でいつも話題(問題?)になります。

 新年度を機に、きっぱりと見方を変え、取り組みを変えましょう! 『「保護者のシグナル」観る・聴く・応える:保育者のためのコミュニケーション・スキル』(ぎょうせい、2013年)では、「かみつきやひっかきをした子の名前を、された子の側には伝えない」と書きましたが、そのような考え方では事態はまったく改善されないと、現場の中でお話をうかがっているうちに私も気づきました。

(2021/7/17加筆)以下の内容は、新年度、あるいは、そのクラスでまだかみつきやひっかきが起きていない時点にのみあてはまります。かみつきやひっかきが起き、保護者が園に対してなんらかの動きをし始めた時に下のような方法を使おうとしても効果がないばかりか、おそらく保護者をいっそう怒らせます。では、このように伝えておらず、すでに起きて、保護者が怒っている時にはどうしたらいい? 残念ながら、怒りが収まる方向へ努力する(=対症療法)以外、方法はありません。相手が感情的になってしまったら手遅れなので。

 以下のように考えていきましょう。

大きな驚きは大きな怒りに変わる

 予測していなかったことが起こると、人間は驚きます。けれども、「驚き」は一時的な反応ですから、じきにおさまります。「ああ、びっくりしたなあ、もう…」で消える場合もありますが、各種の感情を引き起こすことも多々あります。

「え~っ! そんなことがあったの! よかったねぇ」(喜び)
「え~っ! ネコ、死んじゃったの………」(悲しみ)
「え~っ! 5分以内に大きな地震が起こるって! ガス消して! 逃げなきゃ」(不安)
「え~っ! うちの子がかまれて、こんなケガをしたんですか! 跡が残ったらどうしてくれるんですか!!」(怒り)

 どれも驚きから始まる感情です。そして、当然のことですが、驚きが大きければその後の感情も大きくなります。反対に、人間は予測していたことが起こった時には、驚きも小さく、引き起こされる感情も相対的に小さくなります(「宝くじ、やっぱり当たらなかったね」=驚きも感情も小さい、「うわ! 100万円当たった!!」=驚きも感情も大きい)。

 これでもう、答えがひとつ、おわかりになったと思います。かみつきやひっかき、そしてケガに対する保護者の反応を小さくするためには、かみつきやひっかき、ケンカ、そして、その結果であるケガを「思いもせずに起きた非日常のできごと」にせず、「起こるとわかっていた日常のできごと」にしていくのです。



「子ども同士のトラブル」「加害」「被害」という言葉を使わない

 かみつきやひっかき、ケンカに関する最大の問題点は、「加害」という、あたかもその子に悪意があったかのような言葉が出てくることです。これは、子どもにも保護者にも、もちろん保育者にも悪影響を与えます。

 まず、こうしたできごとを「ケガをさせた子ども=加害者」「ケガをした子ども=被害者」という文脈で語るのは、明らかに間違いです。AちゃんがBちゃんの持っているおもちゃで遊びたくて、Bちゃんがまだ遊んでいるのに取ろうとした。Bちゃんは「やだ!」という気持ちでAちゃんにかみついた(または、ひっかいた)。Aちゃんは加害者でしょうか? 違います。自分の要求がなによりも先に立ち、かといって言葉で要求をうまく表現できない子どもにとっては、「おもちゃを取る」という行動も「かみつく」「ひっかく」という行動も当然であり、加害でも被害でもないのです。

 現場で見ていると、多くの保護者が「加害」「被害」という文脈で考えているようです。そうすると、「被害児」の保護者が怒るだけでなく、「加害児」の保護者の中にも、「うちの子がそんな悪いことをするなんて」と落ち込む人、「どうして止められなかったんですか!」と園に怒る人など…が現れます。子どもを叱りつけたり、罰したりする保護者も現にいます。これでは、子どもの育ちに悪影響が出かねません。子どもの成長を受けとめられずにいる保護者自身もかわいそうです。

 未就学児に、「相手を傷つけよう」という意図が(めったに)ないのは明らかです。そもそも、かみついたりひっかいたりしたら相手がケガをするという認識すらありません。「かんだら痛い」「ひっかいたら痛い」という事実すら、自分がかんだりひっかいたりした結果や、かまれたりひっかかれたりした結果から学んでいく時期なのですから、「加害」「被害」というおとな社会の言葉を使うこと自体、子どもの育ちと学びをないがしろにしています。

(この段落、2021/7/17加筆)「加害」「被害」に関連して必要なのは、「子ども同士のトラブル」という言葉を園がやめる大切さです。「トラブル」という言葉には「悪意」というニュアンスが含まれていますし、おとなが「トラブル」と使う時には、「面倒なこと」「いやなこと」という意味が入っているのです。この言葉、使わなくてもまったく問題ありません。「子ども同士のかかわり」「子ども同士のやりとり」と言えば十分。人間の認知(意識、考え方)は言葉によって作られるのですから、マイナスの意味合いを持った言葉をわざわざ使ってはいけません。



日々の子どもの育ちの文脈を保護者にどんどん伝える

 では、どうすればいいのか。かみつき、ひっかき、ケンカと、それによって起きたケガだけを特別扱いするのではなく、子どもの育ちの中で保護者に伝えていけばよいのです。

 1で述べたように、人間は予測していなかったことに直面すれば驚き、場合によっては怒ります。けれども、「起こるだろうな」とわかっていれば、さほど驚かず、結果的に怒りも小さくなります。なによりも、かみつきやひっかき、ケンカ自体が成長の中ではごくあたりまえのことだという大切な理解が、保護者にも生まれます。

(以下この項の終わりまで、2021/7/17加筆・修正)保育の中で、かみつきやひっかきが起こりそうな場面は無数にあります。でも、たいていは保育者が止めます。その時点で言えばいい? いえいえ、そこまで待っていては遅い。止められないかもしれませんので。

 0~1歳にはまだ、「他人」という明確な認識がありません。「お友だち」という認識もありません。興味をひかれたものに手を出し、したいことをし、邪魔になる人やものはバシッとはねのけます。ですから、自分だけの世界から外の世界へ興味が向き始めたら、かみつきやひっかきの原因が生まれているとも言えるのです。その時点で伝えましょう。誤解を生まないためにも、こういった内容は当初、連絡帳よりも口頭で伝えたほうがいいと思います。

〇〇さん、ちょっとお話ししてもいいですか? (ニコニコと)Aちゃんがね、最近、身のまわりの人やものに興味を持ち始めているってお伝えしたでしょう? (真面目な表情で)そうしたら今日、他のお子さん、あ、あの子、Bちゃんの所へトコトコって行って、Bちゃんが持っていた電車に興味があったんでしょうね、パッて手を出したんです。そうしたらBちゃんが、「あ~っ」て! Aちゃんはびっくりしたみたいだったんですけど(ニコニコに戻って)、私が「大丈夫だよ、Aちゃん、そういう時は『貸して』って言おうね」って声をかけたら、『あ~』って言ったんですよ(ニコニコ)。その後、一緒に電車で遊んでいました。
 (真面目な表情に戻って)今の時期はね、こういうことがよく起こるんです。「私」「僕」っていう気持ちしかまだありませんからね。でも、今の時期、「私の」「僕の」っていう気持ち、「ほしいな」「いやだ」っていう気持ちが生まれてくるのが当然なんです。おもちゃを取ろうとするのも、「やだ!」と言うのも当然で。ただ、これがかみつきやひっかきにつながったりもするんですよね…。私たちもできる限り、子どもたちの動きを先取りして止めようとはしていますが…。

 もちろん、この時、「いやだ!」という気持ちを表現した子ども(Bちゃん)の保護者にも伝えます。同じ内容で話を反転させ、一部を変えるだけです。

(ここまでは上と同じ)…「私/僕が遊んでいるんだから、やだ!」「あげない!」という気持ちになるのは当然ですよね。それを表現できなかったら、自我は育ちませんから。でも、まだまだ言葉が出ませんから、手が出てしまったりはします。私たちもできる限り、子どもたちの動きを先取りして止めようとはしていますが…。

 かみつきやひっかきというリスクを育ちという肯定的な枠組み(フレーム※)の中で話しているのですから、保護者は「そうですよね。起こってもしょうがないですよね」という反応をするはずです。0歳児のこの段階から、両方の側の保護者(=すべての保護者)に伝えていくことで、発達の中に当然あるかみつき、ひっかきを伝え、「かみついた側=悪い」「かみつかれた側=被害」という区別自体をなくしていくことができます。「言うか、言わないか」という悩みもなくなります。そして、従来、「被害児」と呼ばれていた側がそもそもおもちゃに手を出していたり、他児に近づいていったりしている(いずれも悪いことではない、当然の行動)という事実も(かみつきやひっかきが起こる前から)伝えられるのです、「そもそもの原因をつくったのはあなたのお子さんです」という意味あいで。

 そして、0歳児の時から、どの親にも「あなたのお子さんが、育ちの中で見せた行動」をどんどん伝えていくことで、保護者は「言われ慣れて」いくでしょう。確かに、「園で起きたことだから、園で解決します」と言うのは格好のいいことかもしれません。でも、たとえば未満児の時に何も伝えずにおき、4歳、5歳になって初めて「実はあなたのお子さんは…」と言ったのでは、保護者の側も「え! 今まで何も言ってくれなかったのに!」「言ってくれていたら、私たちも取り組んだのに」と思うだけです。先生方は、子どもについてネガティブなことを伝えたら、すべての親が「そんなことはない!」と言うとお思いになっているのかもしれませんが、決してそんなことはありません。A-3の項目4につながる内容です。

 もちろん、同じ子どもの間でかみつきやひっかきが繰り返されることもあります。その子どもたちの間に「なにか」があるのでしょうけれど、そこまで考える必要はありません。しばらく物理的に離しておきましょう。「せっかく仲が良いのに、離したらかわいそう」? いいえ、子どもたちは覚えていません。気にするようなことではありません。

 一方、どう伝えても「絶対に、うちの子がかまれないようにしてください」「二度とこんなことがないようにしてください」と言う保護者もいるでしょう。「〇〇さん、集団保育の場で、子ども同士のかかわりあいをゼロにすることはできないんです」(=「絶対かまれない」や「二度と起きない」は無理)と伝え続け、それでも納得しないなら、「〇〇さん、ごめんなさい、私どもは〇〇さんの御要望にお応えできると思いません」と。間違っても、「二度とこのようなことが起きないようにします」と言ってはいけません。ほぼ間違いなく再び起こりますし、「二度と起こさないと言ったくせに!」と怒りはいっそう大きくなります。

※同じ情報(メッセージ)を肯定的なフレーム(額縁、枠組み)に入れて渡すのか、否定的なフレームに入れて渡すのかで、受け取り側の受け取り方が大きく異なるということは、1960年代以降、健康心理学者がずっと研究してきた「フレーミング framing」という分野です。今は健康心理学以外の分野でも広く使われている概念/手法。



子どもを観察し、観察から学び、観察を伝えられる保育者を育てる

 まず上のような話をできたなら、後は連絡帳に「今日は~でした」と書くことができます。保護者が気を悪くするかもしれない話をすでにして、「悪いことではない」「伝え続けますよ」と言ったのですから、ここから先もどんどん伝えましょう。個人がどう感じるかにかかわらず、保育者が話し(言い)慣れる、保護者が言われ慣れること、ここが重要なポイントです。

 ここで別の問題も出てきます。連絡帳に何を書いたらいいかわからず、「今日はみんなで~をして遊びました」「今日は○○ちゃんと遊んで楽しそうでした」「~をしている姿がかわいかったです」というような文章ばかり書いている保育者もいます。保護者がこんな文章ばかり読まされていて、ある日突然、「あなたのお子さんがかまれました」と言われたら…? 驚くのは当然です。保護者には、子どもの関わりあっている様子がまったく見えていません。かみつきもひっかきも、青天の霹靂(へきれき)です。

 「子どもの関わりの様子を観察して、連絡帳に書こう!」、園でそう決めたとしても、いつも同じ文章を書いている保育者、連絡帳例文集の文章を丸写ししている保育者には、観察も記述も簡単にはできるようになりません。あるいは、子どもの観察ができる保育者ならばその姿を保護者に伝わるよう記述できる、というわけでもありません(逆に、子どもの姿を美しい文章で書く人が、必ずしも本当に保育をできているわけでもない)。観察は観察のスキル、記述は記述のスキル、それぞれ独立したスキル(※)ですから、どちらもトレーニングを続けることが不可欠です。

 これは「連絡帳を書くため」ではなく、ましてや「かみつき、ひっかきのトラブルやクレームを減らすため」でもありません。保育スキルを高めるためです。「じょうずな文章を書けなければ!」でもなければ、「保育者の思いが伝わる文章を書かねば!」でもありません、まずは、「自分が見た事実を伝えられる文章」です。現場で見ていると、これを書ける保育者は非常に少ないと言わざるをえません。ケガやヒヤリハットの記述ですら、「事実が伝わらない文章」ばかり…。ここから取り組まなければ、です。

 子どもを観察できるようになっていけば、保育は楽しくなります。「この子ども(たち)は、どこまでなら介入しなくてよいか。どこの時点で(深刻な結果を防ぐために)絶対に介入しなければいけないか」もわかるようになるはずです。そして、観察した事実を伝わるように記述できるようになれば、保護者とのコミュニケーションも園内のコミュニケーションも良くなるでしょう。

※スキル:トレーニングや経験を通じて、知識や技術などを適時、適切に、意識して使えること。応用力。知識や技術に上乗せして身につけていくもの。(『子どもの「命」の守り方』、28ページの脚注)



年度の初めに保護者に伝えておく

 「かみつき、ひっかき、ケンカは起こります」という内容は、入園の時に書類等でお伝えになっていると思います。そのひながたも、ご参考までにこちらに置いておきます

 いずれにしても、「起こります」と4月に言うだけでは、まったく足りません。保護者は「うちの子がかみつかれる(ひっかかれる)」「うちの子がかみつく(ひっかく)」とは、思ってもいないからです。4月に聞いたこと、読んだことは、自分とは無関係な内容として忘れ去られます。

 だからこそ4月の段階では、「お子さん同士の関わりの様子を、連絡帳などで逐一お伝えします」とも書いておき、その後、子どもたちの仲が良い様子だけでなく、ケンカをしている様子、自我をあらわにしている様子、駄々をこねている様子なども事実として、継続的、日常的に伝えていく必要があります(A-3の項目4)。それは、日々の子どもの姿と育ちを伝えることにほかなりません。