A-2. 入園が決まってからでは遅い:「子どもの最善の利益」を保証するために、園見学の段階から保護者に確認して、伝えておくべきこと (2019/1/6、2021/7/13)


園見学の段階で保護者に話す理由

 入園が決まってからでは、園と保護者(と自治体)の間に力関係が生じてしまい、園のルールに従わない保護者や無理を言ってくる保護者を止めることが難しくなります。ですので、以下のような点はまず、園見学の段階で保護者に話し、確認し、内容を受け入れられないと保護者が感じるなら自園に入園を希望しないよう、あるいは、そもそも集団保育の場に子どもを預ける選択を考え直すよう促すべきです。「子どもは預かるのが当然。カスタマーである保護者の言う通りにする」では、集団保育は成り立ちません。保護者の最善の利益が優先され、子ども(たち)の最善の利益は後回しになるか、無視されるか、です。そして、入園が決まったら、自治体は園の側に(ほぼ)立ちません。自治体はたいていの場合、目の前の「住民=保護者」を優先させるからです(もちろん、園と一緒に子どもの最善の利益を前面に出している自治体もあります)。

 基本を忘れないでください。社会からは、未就学児施設の「カスタマー」は保護者に見えるのかもしれません。自治体は「住民=保護者」の気分を損ねたくないのでしょう。でも、集団保育・教育の真の、かつ第一の受益者は子どもです。保護者ではありません。未就学児施設が今、困難に直面しているひとつの理由は、園が「子ども」と「保護者」という異なるステークホルダー(利害関係者)を扱わなければいけない構造自体にあります。構造は以前から変わりませんが、現在の問題は、この2つのステークホルダーの利害が必ずしも一致せず、時として対立さえしかねず、保護者の利益が子どもの利益よりも優先されかねない点です。子どもは自分の要求を相手につきつける言葉を持たず、参政権も持たず、お金も持たず、政治家や自治体勤務の友人・知人もいません。園は、子どもたちの利益の代弁者であり続けるべきですし、「私たちは、子どもの最善の利益のために取り組んでいます」と言うなら、具体的にもそうするべきです。「コミュニケーション」の各項は、そう考える園の先生たちの保育・教育、心を、仕事を守るためのものです。

 ここでひとつ生じる問題は、園見学に来ないまま、自治体経由で入園が決まる子ども(保護者)がいる点です。待機児童が多く、希望順位の下のほうに書いた園は見学に行く時間もないという保護者側の現実もあるでしょう。この問題は、頭を抱えてしまうのですが…。保護者の側にも「自分で見もせずに入園を決めるのはいまどき危険」という意識が育っていただきたいところですけれども、まずは自治体に「保護者には『必ず園見学をして、話をしてください』と伝えて」と働きかけてください。自治体も、保護者が園見学に行かず、園の方針や集団保育の基本を理解しないままに入園した場合、後でどんな問題が起こりうるのか、自治体として(本来なら予防可能だった)対応を迫られるのかを理解して、園見学を強く勧めるべきです。



園見学の時に伝えて、確認する点

 もちろん、以下の内容は園見学の時だけでなく、入園面談や最初の保護者会でも伝え、日常でも折にふれて伝えます。すべて、園長や主任が対話によって行うコミュニケーションです。面倒だと思わないでください。伝えておくかどうか、確認しておくかどうかで後が大きく変わるのですから。

1)自園の活動の価値とリスク

 A-1に書いた通り、それぞれの園には活動の価値とそれに伴うリスクが必ずあります。ですから、価値を園のアピールとして伝え、「お子さんの様子もどんどんお伝えしますね」、「とはいえ、これだけの活動をするのですから、~のようなケガ(事故)は織り込み済みです。職員は~のように取り組んでいますが、ケガは起こるものだと思っておいてください」とはっきり言いましょう。

 A-4に詳しく書きましたが、人間は起こると思っていたことが起きた時には、さほど驚きません。でも、起こると思っていなかったことが起きた時には、「なんでそんなことが!」と驚き、その後の感情的な反応(こういった場合は、たいてい怒り)も大きくなります。ここでは価値という肯定的な枠組みの中でリスクを伝えていますから、この段階で「ケガなんて、とんでもない!」と否定的にとらえる保護者はまずいないはずです。

2)集団保育の中で当然起こるケガ

 実はもう、1の内容だけでは不十分です。たとえば、この事例。

 東京都世田谷区で、2009年当時の4年生が区などに約3400万円の賠償を求めた訴訟の判決が2018年12月11日、東京地裁であった。裁判長は、約2900万円の賠償を命じた。事故は2009年12月の授業中、教諭が作文などの課題に取り組むよう指示した後に起きた。児童2人が席を離れて教室後方で動き回り、うち1人が投げた分度器が男児の左目に当たった。男児は角膜が傷つくなどし、1.2だった視力は約5年後には0.03に低下した。判決は「児童の近くで注意したり、全員が着席するよう指導したりすれば、事故を防げた可能性が高い」とし、教卓からの口頭注意でとどめた教諭の過失を認定した。分度器を投げた児童の親の責任も認めた。

 小学校4年生ですら、「(教諭は)事故を防げた可能性が高い」と言われているのです。社会の認識を考えてください。「乳幼児のケガ、かみつき、ひっかきをどうしておとなが止められない?」…実際には、乳幼児の行動は小学校4年生よりも行動の文脈が(少)なく、予測が難しいのです。かみつきもひっかきも瞬間的に起こります。でも、社会の認識はおそらく違うでしょう。「保護者や社会は、『どうして予防できなかった?』と思うだろう」と考えておくべきです。

 さらに2019年、保育園で起きた子どものケガについて園が安全配慮義務に違反したとして、法人が慰謝料等を支払うよう命じた地裁判決が出ています。

 徳島県徳島市の私立保育園に対し、児と両親が慰謝料など約293万円の支払いを求めた訴訟の判決が2019年4月24日、地裁であった。請求を一部認め、社会福祉法人に約114万円の支払いを命じた。2016年5月、園庭で遊んでいた児がつまずいて階段で顔を打ち、鼻の骨を折ったにもかかわらず、園は医療機関に連れて行かず、保護者にも連絡しなかった。2017年3月には、児が園庭遊具から落ちて切り株で顎を打ったが、園庭にいた保育士は児の遊ぶ様子を確認していなかった。判決理由で「保育士は遊具付近で遊ぶ児の動向に気付かず、危険な行為に及んでいる児を制止するなどしなかった」などとして園の安全配慮義務違反を認めた。一方で「後遺障害が残ったとまでは認められない」などとした。

 こうした賠償命令が出たことを頭に置けば…。園見学の段階で、次のように伝えるべきです。非を認めているわけではありません。集団保育という価値に必ず付随するリスクを明確に伝えているだけです。

「未就学児の行動は、私たち保育士でも予測が難しいことがあり、ケガ、かみつき、ひっかきを予防できないことも多々あります。お子さん1人に保育者1人がついているわけではなく、子ども同士もかかわりあう以上、すべてのケガ、かみつきやひっかきを予防することはできないとご理解ください。子どもが集団で過ごす以上、この点は理解していただきたいですし、園の中でケガを絶対にしないようにとお思いでしたら、集団保育の場にお子さんをお預けになるのはお勧めしません。」

 こんなことを言うようにしたら、無駄なケガや、不適切な保育で起きたケガまで受容しろという話になっていくのではないかと考える方もいらっしゃるかもしれません。違います。このウェブサイトは「預かってやっているんだから、どんなケガでもがまんをしろ」と言うような園を守るためのものではありません。A-1に書いたように、自分の園の価値とリスクを明確にみきわめ、子どもが十分に育つ価値のある保育をしている保育士さんたちの心と仕事を守るためのものです。「預かってやっているんだから文句を言うな」という態度の園長や理事長の園なら、保育者は辞めていくでしょう。「預かってやっているんだから文句を言うな」という態度の保育者ばかりの園なら、早晩、つぶれるでしょう。逆に、保護者の言うなりになって、子どもの最善の利益よりも保護者の最善の利益を優先させる理事長や園長の園なら、これまた保育者は辞めていくでしょう。そういった園がこの文章を都合のいいように使っても、結局は意味がありません。上のような確認は、A-1に書いた内容を理解し、価値ある保育をできる保育者が保育に集中して働き続けるために必要なのです。

 これまでは「心と仕事を守る」という話だけだったのかもしれません(それもとても大切です)。でも、この世田谷区の訴訟の結果が出た以上、「心と仕事」だけでは済まない、園や自治体に対する現実的な結果につながりかねないのです。自治体も(国も)、園のこうした行動を支援するべきですし、園に子どもを預けようとする保護者に「集団保育そのものの価値とリスク」を伝えるべきです。何度でも書きますが、リスクを伴わない価値はありえません。

3)予防接種

 集団保育である以上、予防接種は必須です。日本小児科学会が出している「ワクチン情報」等を印刷して、目立つ場所に保護者向け資料として置いておきましょう。予防接種に関する情報は役立つリンクにたくさんあります。

 園見学の時の働きかけは、それほど難しくありません。1)あなたの子どもと他の子どもたちを守るために予防接種をしましょう、2)園としてはことあるごとに接種をお勧めしていきます、この2点をやわらかく、明るく、共感的な言い方で伝えます。

「Aさん、お子さんは予防接種をお受けになっていますか? あ、受けていらっしゃるんですね。…予定のものはすでに終わっていらっしゃる。よかったですね。…園はやっぱり、ほら、集団ですから。Aさんのお子さんを守るためにもまわりのお子さんたちのためにも、予防接種って大切なんですよ。…私たちも『~はお受けになっていますか?』ってお尋ねして、親御さんがお忘れにならないようお手伝いしているんです。」

 受けているならいい、で終わらせず、予防接種を受けることはとても大事で、園としても支援していきますという肯定的な態度を示し、これからも受けていこうという保護者の意識を後押しすることが重要です。

「Bさん、お子さんは予防接種をお受けになっていますか? あら、受けてらっしゃらない? まあ、どうしましょう…。園はやっぱり、ほら、集団ですから、Bさんのお子さんを守るためにもまわりのお子さんたちのためにも、予防接種って大切なんですよ。…ええ、お受けになるおつもりがない…。どうしましょう…。私たちも『~はお受けになっていますか?』って必ずお尋ねしているんですよ。お子さんたちの健康をお守りするのも私たちの大切な仕事ですから。え、お受けにならないんですか…。そうなんですね…。親御さんとしてはお聞きになりたくないことかもしれませんけれども、入園なさったら、折にふれて必ずお伝えはいたしますよ。それが私たちの仕事のひとつですから。」

 今の日本の法律では、接種を義務づけることはできません。でも、「あなたが気分を害そうとも、私たちは子ども(たち)のために接種を勧め続けます」とやわらかく、明るく、でも、毅然と伝えてください。この時、小児科学会のワクチン情報のような冊子を紹介することもできますが、このコミュニケーションの柱は相手を納得させ、予防接種を受けさせることではありません。こういった会話が理屈中心の説得口調になると、相手は態度を硬化させ、よりいっそう「受けないぞ」と思っていきます(「態度の極化 attitude polarization」と呼ばれる認知現象)。ですから、相手の行動(=予防接種を受けない)が間違っているという印象を残す言葉や言い方は避け、「お勧めはし続けます。それが私たちの大切な仕事ですから」という距離感を保った言い方にとどめます。「受けないという部分に意見はしませんが、この園にいる限り、『受けましたか?』『受けてください』という言葉がけをしますよ」と伝えるのです。

 このように伝えておけば、保護者も一種の「覚悟」をするでしょう(あるいは、入園を希望しないでしょう)。その子どもが入園した場合、園側も状況をわかったうえで「受けましたか?」「受けてください」と冷静に伝え続けることができます。保護者が「何度も言わないで」「何を言われても受けません」と途中で言うこともあると思いますが、「そうですか。でも、入園前にお伝えした通り、お伝えするのが私たちの仕事ですから」と冷静に応えることができます。ケガであれ予防接種であれ、園側、保育者側が感情的になってしまったら、その後のコミュニケーションは悪化するばかりです。園見学の段階から伝えておくことは、こちらが感情的にならないため、こちらが心を守るための方策です。

4)医療や宗教の域を超えた特別扱いをしない

 「うちの子は~して」「うちの子は~しないで」は、医療や宗教の範囲を越えたらきっぱり拒絶します。これは入園後でも対応できますが、西洋医学の範囲を越えたことをしているかどうかは、園見学の段階でも確認できます。たとえば、「アレルギーはありますか?」と尋ね、「ありません」と答えが返ってきたら、「じゃあ、なんでも食べていらっしゃるのですね」と返す。ここで食べさせていないものや、特別に食べさせているものが出てくるかもしれません。「園では、お子さんがいろいろな食べ物をなんでも食べられるように給食を組み立てているんですよ」と伝えるのも鍵です(理由はさまざまですが、家庭できわめて限られたものしか食べさせていない保護者はいます)。

 あるいは、「アレルギーはありますか?」から始めて、「肌はいかがです? アトピーなどはありますか?」と尋ね、「ある」場合には、いわゆる民間療法を使っているかどうかなども訊いてみておいたほうがいいでしょう。「園では基本、お子さん一人ひとりをケアすることはできませんし、お子さんがかゆがって(痛がって)いても対応できませんから…。親御さんがおいやだと思っても、私たちとしては自治体にもお伝えしつつ、『病院へ行ってください』とお伝えし続けることになります」と明言するしかないのです。

 ここで起こる大きな問題は、医師の資格を持った人の中にも、子どもに予防接種をすべきではないと主張する人や、西洋医学の治療をしない人がいる点です。この人たちは診断書を出しますから、園は指示の通りに(科学的根拠が明確ではない)対応をしなければならない事態にもなりかねません。こうなると、話はかなりややこしくなります。この時のためにも園医や自治体の園医会という存在が重要になるのですが…。これは未解決の課題です。

5)集団だからこそ見える子どもの姿を伝える

「集団だからこそ、見える姿が園にはたくさんあります。ですから、預け初めの時から、ゼロ歳であっても、お子さんの様子を伝えていきます。親御さんにとってうれしいと思えることもあるでしょうし、聞きたくない、受け入れたくないと思えることもあるでしょう。でも、それがお子さんのその時の姿です。子どもはどんどん育ち、変わっていきますから、お子さんの可能性を伸ばすことができるよう私たちもお手伝いします。」

 なんということもない話のように聞こえると思いますが、ポイントは2つ。「うれしいことも、聞きたくないと思うことも」の両方を「ゼロ歳の時から」「預け初めの時から」と、はっきり伝える点です。

 なぜか。たとえば、0歳の時のかみつき、ひっかきを「ちょっとひどいけど、そのうち終わるよね」と思って見ていたら幼児になっても続き、他児に暴力をふるうようになった子どもがいるとします。「かみつき、ひっかきは園の中のことだから」と保護者に伝えずにいたら、保育者は保護者に伝える機会を逃します。「この子が落ち着けるように」「他の子とはちょっと離しておこうか」…、目先の対応をし続けているうちに、その子を根本から支援する機会を逃し、卒園し、小学校へ行って大変なことになる。保護者は「なぜ、園はもっと早く話してくれなかった?」、園は「ちょっとは伝えたけど、保護者は真剣にとらなかったし…」(自分で見ていなければ、そうそう真剣にはとりません)。ここで一生の損をするのは? その子です。そして、保育者の手がその子にとられたために、まわりの子どもたちも。

 また、たとえば、「とてもおとなしくて、保育者の言うことを聞く良い子」が、実は家で精神的虐待にさらされている(DVや、きょうだいが受けている虐待を見ている)場合もあります。「この子はおとなしいから」と保育者が保護者と話さずにいたら、その子のおとなしさの背景にあるものはなにも見えてきません。あるいは、たとえば、「この子はちょっとこだわりが強いけど、環境をこうしておいてあげれば大丈夫だね」と園が対応を続け、保護者にはなにも伝えずにいたら、小学校に行ってから学習障害等がみつかる場合もあります。

 「かみつき、ひっかきは園の中のこと」かもしれません。「おとなしい子」は保育者のアンテナにひっかからないのでしょう。「この子がおだやかに過ごせるように」、園はよかれと思ってしていることです。でも、いまどき、さまざまな子どもの行動がどんな方向へ変わっていくのかがわからない以上、園が子どもの成長を阻んでしまわないためにも、どんな姿もすべて「今の子どもの姿」として伝えておくべきです。それは、2歳、3歳になって(できればもっと早くから)支援なりなんなりが必要だと認識しやすくするためであり、なにより、保護者に伝えるための障壁をつくらないためです。「様子を見よう」のまま、2歳、3歳までなにも伝えず、その後に突然、「もしかすると〇〇ちゃんは…」と言ったのでは、保護者が驚き、感情的に反応するのは当然です。

 『3000万語の格差』を訳してしまった以上、私(掛札)は、「とにかく遅くても3歳までに、すべての子どもにそれぞれ必要な適切な支援を」と考えるようになりました。子どもは全員、支援が必要なのです。「まわりのおとながなにもしなくてもすくすく育つ、『普通の』『良い子』」など、どこにもいません。もちろん、保護者と保育者の支援で十分な子どももいるでしょう。療育等の支援が必要な子どももいるでしょう。知能が高く、園のレベルでは不十分な子どももいるでしょう。子どもは全員、それぞれの子どもに合った支援が必要で、それは小学校に入ってからでは遅いのです、子どもの脳から見ても、社会のシステムから見ても。

 子どもが家庭で見せる姿と、園で見せる姿は(たいていの場合)異なります。園という集団の中で、ほぼ毎日、子どもたちの様子を見ている保育者は、子ども一人ひとりの特徴や変化を観察できるすばらしい位置にいます。でも、その姿を保護者に伝えられない、伝えても保護者が真に受けない、「家では違います」「うちの子がそんなはずはありません」と言われてしまってつらい…。保育者が自分の心を守るために言わず、保護者が自分のプライド(?)を守るために受け止めずにいることで、一生の損害を受けるのは子どもなのです。その点を園は最初からはっきり、保護者に伝えるべきです。そうしなければ、子どもを守れませんし、保育者の心と仕事を守れません。

 ただ、保育士さんたちが「私は子どもの側に立つ」とはっきり決めて、保護者の前に立った場合、当然、「真に受けない保護者」「無視する保護者」「逆上する保護者」に直面します。保護者のほうを向いている自治体も(支援の態勢も不十分だとわかっていますから)「ことを荒立てないで」「園にできることだけ(子どもに)しておいて」と言うかもしれません。腹は立ちますし、悲しいでしょう。難しいことではありますが、「子どものため」という意志とともに「最後の責任は私たちにはとれない」「保護者の責任、自治体の責任だ」という、感情の距離感も保ち続けることが大切です。これは個々の保育士さんで保てるバランスではありませんから、園全体で「私たちは子どもたちのために取り組んでいるよね。でも、〇〇さんは(自治体は)…」と支えあってください(このあたりは拙著『保育者のための心の仕組みを知る本』をお読みください)。

6)かみつきやひっかきに関して(※)

 0歳、1歳のかみつきやひっかきについては、「起きてから」伝えるのではなく、「そろそろ起きそうだ」という時に伝えることが肝要です(A-4)。それ以前にまず、上の2にも書きましたが、園見学や入園の時点で「かみつき、ひっかきはあなたのお子さんもするかもしれませんし、されるかもしれません。そういうことが一切ないようにしたい、ということでしたら、集団保育はお勧めしません」とはっきり言いましょう。

 一方、5のように保護者に伝え、「かみつきやひっかきをした時にも、お伝えしますね」と言うと、「かんだ(ひっかいた)相手の子どもの親に謝らなければいけないのではないか(=だから、伝えないでほしい)」と言う保護者も出てきます。ですから、「起きた時」ではなく、「起きそうだという時から」です。

「そろそろ、他のお子さんや他のお子さんが持っているものに関心が出てきていますから、かみつきやひっかきも起きます。私たちもついてはいますが、完全に目を離さないということは無理ですし、一瞬のできごとで間に合わないこともあります。ご理解ください。この時期のかみつきやひっかきは、お友だちを傷つけようということではありませんし、お互いさまということも多いのです。ですから、相手の親御さんに謝ってくださいとかそういうことではありませんので…。とにかく、成長・発達の一部として、かみつきやひっかきをしそうになった時、した時には、私たちが止められた時、他のお子さんのケガにならなかった時でもお伝えしますね。お子さんの大切な様子のひとつですから。」

 しつこく書きます。重要なのは、相手にケガが起きた時だけでなく、止められた時やケガにならなかった時も伝えることです。かみつきやひっかきを「子どもがした、特別に悪いこと」としてではなく、「日常に起こるごく普通のこと」と保育者も保護者もとらえ直すためです。

 さらに、上の2で取り上げた世田谷区の裁判の結果を思い出してください。「かみつきは止められたはず。うちの子が顔にケガをしたのは、相手の子と、止められなかった園の責任」という話に、いまやなりかねないのです。子どものかみつき、ひっかき、ケガをめぐって、日本社会は大きな転換点に来たと認識してください。この転換点を乗り切る方法は、「かみつき、ひっかき、ケガは起きます」「おいやなら、園にお子さんを預けないほうがいいと思います」とはっきり保護者に伝えることだけです。そして、それは「園に預けておけば、子どもはなにもなく、ケガもせず、すくすく育つ」という誤解をしている社会と保護者を変えることにもつながります。未就学児施設は、集団保育の価値とリスクがある場所です。ベビーシッターの集まりではありません。保護者も、集団保育とベビーシッターのどちらを選ぶか、考えるべき時代になったということです。

A-4に書いた通り、私(掛札)は拙著『「保護者のシグナル」観る、聴く、応える』の74ページ以降に書いたことは、保育の世界においては誤りであったと認識しています。実際、この本に書いたことのかなりの部分は、こちらのA-1~A-4と矛盾します。私が現場で学ばせていただいた結果であり、本のほうが誤りです。



園見学などの時の対話コミュニケーション(園長、主任)

 以上のコミュニケーションは、園見学という非公式な、でも、保護者にとってはおそらくかなり緊張する状況のなかでなされるものです。緊張している時には、脳はなかなか情報をとりこめません。緊張している保護者に向かって、上のような大切な話を機械的にとうとうとまくしたてても、相手はまず聞いていませんし、なによりこちらに対する印象は悪くなるだけです。

 園見学は園長、副園長、または主任が担当するはずですから、おとな(保護者)対応はできてしかるべきです。「待機児童問題」で園長・主任クラスの人材がどんどん薄くなってきているのは事実ですが、「人がいないから、やらされているだけ」と思って働いている園長・主任ならそのうち保育は崩壊しますし、「まだまだ無理だし、大変だけどやってみよう」と感じている園長・主任を自治体、本部(本社)が全力で支援しないなら、やはり崩壊します。園長・主任クラスは、おとな(保護者)対応ができるように育って(育てて)ください。そうしなければ、保育は守れません。

 (園見学の)保護者対応はどうするか。やわらかく、あたたかい、受容的なトーン(声に含まれるニュアンス)で、笑顔(へらへらするのではなく笑顔)と真顔を切り替えながら話してください。このトーンであれば、上のような内容をはっきり伝えても角は立ちません(保護者対応がうまいのは、総じてこの話し方ができる園長、主任です)。声のトーン、話し方は訓練です。話し相手の反応(感情)に合わせて、でも、相手にのみこまれないようにトーンをコントロールしながら話す。…考えてみれば、毎日、皆さんが保育で子どもに対してしていることです。おとなは子どもよりも、あちらの怒りやいらだちがこちらに伝わりやすく、こちらが委縮しやすいという以外は、子どもに向かっている時と変わりありません。子どもに向かって適時適切に声のトーンと話し方を変えられる人なら、基本はできるはずです。

 ただし、相手はおとななので、言葉づかいは保育と違います。これも練習しかありません。保護者の多くは企業や自治体に勤めている人ですから、「この人、園長のくせに、言葉づかいがなっていない」と思われたら、後に影響します。保育という仕事は子どもを対象にした仕事だからでしょうか、保育者(園長でも、いわゆる「専門家」でも)の中にはおとなに対する話し言葉や書き言葉のレベルが低い人も残念ながらかなりいます。どうするか。いまどきの雑誌や小説を読んでも言葉はなかなか学べませんから、せめて「おとなの言葉づかい」と銘打った本(新書サイズでたくさん出ています)を園で買い込んで、皆さんで回し読み…でしょうか。保育者の言葉が豊かで、かつ、ていねいでなければ、子どもの言葉は育ちませんから…。



子どもの最善の利益を守り、職員の心を守るために

 園見学の時であれどんな時であれ、上のようなことを伝えれば、保護者の中には怒りや疑念のこもったトーンで反論や否定をしてくる人が当然います。でも、相手の感情をすべて自分の責任だと思う必要性はどこにもないのです(拙著『保育者のための心の仕組みを知る本』、特に61ページ以降)。「子どもの最善の利益」を前面に出して上のような話をすれば、その保護者(おとな)の最善の利益との間に軋轢が生じる可能性があります。保護者が怒りや疑念のこもったトーンで返してくるのは、あなたが言ったことが原因でなく、その保護者の心の中で生じた軋轢が原因なのですから、あなたがそこで「自分がこんな気持ちにさせてしまった」と反省したり委縮したりする必要はありません。

 保護者がどのように返してこようとも、園の言っていることが子ども(たち)の最善の利益のためのことであるなら、「そうお感じなんですね。私たちは、お子さんたちのためにこのように取り組んでいるのです」といった内容を、相手の顔を見て、やわらかく繰り返します(たとえば、「そうお感じなんですね。でも、私たちは、お子さんたちのためにこのように取り組んでいるだけです」と言うと、かなりニュアンスが変わってしまうことに気づいてください。これが言葉の選び方です)。売り言葉に買い言葉は厳禁です。結局のところ、理事長や園長、主任にとってもっとも大切なのは、こういった状況下で自分の感情、声のトーン、言い方をコントロールできるということなのでしょう。なによりもまず、子どもたちの最善の利益を守り、職員の心と仕事を守るために。