5-1. ケガと保育の質(保護者に説明するための基礎)
(2016/3/8以降加筆修正。2021/11/18加筆、2024/3/26に最初の項以外すべて更新)

関連リンク:頭とおなかのケガを軽視するのは危険(5-4)園内研修用資料発達とケガに関するメモ書き重要事項説明書の項目1(A-3)、子どものケガを保護者に伝える(A-6)、ケガにつながりそうだったできごと、ケガのできごとを分析するための用紙(2-8)


外傷(ケガ)、傷害:言葉の整理から

 体表面や内臓(脳も内臓です)に力学的な力が加わり、ダメージが起こることを「外傷(以下はわかりやすさのため、ケガと表記)」と呼びます。やけどや凍傷も火や熱、冷たさというエネルギー(物理的な力)によって体表面やその内部に損傷が起こることです。あるいは、漂白剤を飲んで内臓がただれるのも、化学的な力によって内臓にダメージが起こることです。実は、やけども凍傷も化学物質によるただれも「外傷(ケガ)」の中に含まれます。どれも、力(=エネルギー。例:力学的エネルギー、物理的エネルギー、化学的エネルギー)によってからだにダメージが及ぶこと、だからです。

 一方、溺水、誤嚥、絞扼等の場合、水、モノ、食べ物、ヒモ等といった外的な要因で「息をするための部分」が働けなくなり、脳や全身にダメージが生じます。こちらは「外傷/ケガ」とは呼びません。でも、上に挙げた外傷と合わせて、すべて「傷害(injury)」と呼ばれます。

 さて、以下は、未就学児施設で起こるケガ(外傷)の大半を占めるものの話です。ここまでまず、言葉の整理をしてみました。


ケガの大部分は、できごとと結果の軽重が直結しない

 たとえば、ケガではない「息ができないできごと」の場合、できごと(原因)がなんであれ、結果の軽重は「何分間、呼吸ができなかったか」だけで決まります(2-2)。

 ところが、ケガの大部分はもっと複雑で、原因になったできごとそのものから結果(ケガ)の軽い、重いを想定することができません。こちら(事故の俯瞰図)の1枚めをご覧ください。できごとから結果を予測できるのは、一番下にある「切る」「はさむ」「刺す」「熱い物(液体、遊具等)に触れる」ぐらいで、その上のすべてのできごとは結果を想定できないのです。

 別の面から見ると、こうも言えます。
 「切る」「はさむ」「刺す」「熱い物に触れる」は、そのできごとが起きた体の部位がケガをします。ナイフで切った場所が切れ、開閉部にはさんだ場所が切れたり折れたりし、真夏の炎天下の遊具に触れた部分がやけどをするのです。
 一方、それ以外のできごと(つまずく、すべる、ぶつかる、落ちる、落とす)は、できごとが起きた部位は必ずしもケガをしません。たとえば、つまずくのは足の先でしょうけれども、つまずいて転んだ時に足先をケガする人はほとんどいないのです。鉄棒から落ちるのは「手を離してしまうから」でも、ケガが起こる場所はたいてい手ではありません。

 ケガをする場所が明確に想定できる「切る」「はさむ」「刺す」「熱い物に触れる」は、できごとの条件から結果の深刻さ(軽い、重い)を想定することも容易です。たとえば、鋭さ、尖りぐあい、温度といった、モノそのものの条件です。結果(ケガ)の想定が容易だということは、予防も容易だという意味です。
 ところが、言うまでもなく、それ以外のできごとはできごと自体の条件がたとえ同じでも、結果(ケガ)の軽い重いは同じになりません。たとえば、同じ場所でつまずいても、足を滑らせても、必ず転ぶわけではありません(実のところ、「転ぶ」は一次的なできごとではなく、「つまずく」「すべる」「ぶつかる」に続く二次的な結果です)。転ぶことなく、体勢を立て直して元に戻ることが大部分でしょう。時々、転びますが、転んだからと言って「体のどの部位」を「どのくらいの強さで打ち」、結果的にすり傷、切り傷、打撲、捻挫、ひび、骨折、頭部外傷などのどれになるかは、そのできごとが起きるまでわからないのです。
 「落ちる」「落とす」も同じです。同じ30センチから同じ子どもが同じように落ちても(落としても)、結果(ケガ)の軽重はその時の条件によります。

 未就学児施設で起こる、ケガにつながる可能性のあるできごと(俯瞰図の1枚め)は、圧倒的多数が「つまずく」「すべる」「ぶつかる」「落ちる」「落とす」ですから、「ケガを想定せよ」と言われてもほぼ不可能なのは、こうしたできごと自体の特性と、「できごとと結果が直結しない」という特徴によるのです。


できごとに至る前の活動には(たいてい)価値がある

 未就学児施設で「つまずく」「すべる」「ぶつかる」「落ちる」のようなできごとが起きた場合、そのできごとに至った原因にはたいてい、育ちの価値があります。立ち上がり始めた子どもがつまずいたりすべったりして転び、ケガをしたら困るからと立つのを制限したら、子どもは育ちません。落ちてケガをしたら困るからと、鉄棒をさせないわけにもいきません。園でこうしたできごとをゼロにしようとすれば、子どもは育たなくなってしまうのです。

 ですから、保護者には4月の時点で、それぞれの発達段階(クラスまたは個別)に合わせて、以下のような内容をはっきり伝えておく必要があります(なにかしら重大なケガが起きた後にこれを言うと「言い訳!」と言われますから、伝えるなら4月)。

・この段階の子どもたちの発達、動きにはこういう特徴がある。園では、子どもの育ちに合わせて、~のような活動をする。
・この活動をしていると、こういうできごと(つまずく、すべる、ぶつかる、落ちる等)が起こると想定される。
・できごと自体は育ちの価値の中で起こることであり、予防できない場合が多い(例:1歳児が椅子から立ち上がり、よろける。4歳児が園庭やホールを全力で走って、何もない所で滑る。そして、どちらも転ぶかもしれない)。
・できごとが起きた場合、その場所や体の打ちどころによっては、ひびや骨折になることもある、顔にケガをすることもある。子どもが体を動かして育つ以上、「ひどいケガや骨折、顔のケガだけはなくす」はできない、という点の理解をしていただきたい。

【上の話をおとなが理解するために使える例】 おとなの私たちでも、たとえば、あるとわかっている2センチの段差につまずくことがある。でも、たいていは転びもしない。転んでもたいてい、ケガはしない。けれども、その時の転び方や、走っていたとか両手に荷物を持っていたとか、いろいろな条件によっては、骨を折ったり頭を打ったりする。だからと言って歩かないわけにはいかず、骨折だけは防ぐような対策をとることもできない。


結果(ケガ)にならなくても、可能な部分は改善!

 つまずく、すべる、ぶつかる、落ちるといったできごとの中には、明らかに保育として誤っていたから起きたものもあるはずです。それを「ケガにならなかったから」と見過ごしてはいけません。価値があり、保育としてまったく誤っていなくても骨折や重傷は起こる、それの正反対には、完全に間違っている保育をし続けていても重いケガが起きないという「確率」(運、偶然)があるのです。

 俯瞰図と合わせて、詳しくはこちらの園内研修用資料をご覧ください。また、ケガにつながったかもしれないできごとやケガが起きたできごとについて、その瞬間からさかのぼって「保育の質として改善できる部分があったか?」を考えるための記入票はこちら(2-8)にあります。


「子どもはケガをしながら育つ」ではない

 以上、「つまずく」「すべる」「ぶつかる」「落ちる」のようなできごとの場合は、結果(ケガの有無や軽重)ではなく、できごとにつながった活動の価値と、できごとにつながった活動の質の向上という側面から考える必要があるということを理解して、保護者にもそのように伝えていくことが肝要です。そうしなければ、「ケガをさせないで!」「骨折なんて!」という話は決してなくならないからです。

 この時、これまで言ってきた言葉を変える必要もあります。
 「子どもは、ケガをしながら育つのです。」
 いいえ、違います。ここまででおわかりの通り、どんなにつまずいても落ちてもケガをするかどうかはわかりませんし、逆に言えば、育つためにわざわざケガをする必要もないのです。
 正しくは…
「子どもは誰でも、体を動かして育っていく中で、ケガにつながるできごと―つまずく、すべる、落ちる―を経験し、その中でケガをすることもあります。場合によっては、大きなケガになることもあります」です。

 「身体能力が上がれば、ケガをしないようになっていきます(だから、ケガはいい)。」
 いいえ、違います。
 確かに、身体能力が高ければ、つまずいたりすべったり落ちたりした時、大きなケガにつながる確率は多少下がるかもしれません。でも、それは確率が多少下がるだけであって、身体能力の高い子どやおとながケガをしないわけではありません。そして、育つための言い訳にケガを使うことはできません。

 「この子がうまく動けないから(運動能力が低いから)、ケガをしたのです。」
 もうおわかりの通り、まったく違います。月齢や発達に合わない活動をしていれば、子どもはしなくていい無駄なケガをします。逆に、保育の質になんの問題もなく、改善点もない。そのような条件下であっても、運動能力の高い子、運動能力の低い子、どちらもつまずき、すべり、落ちます。そして、打ちどころや他の条件によっては(軽い~重い)ケガをします。その事実を認めず、保育の質の検討もせず、ケガはすべて子どもか保育者どちらかの責任だと考えるのは、根本的な誤りです。

 まず、「できごと」と「結果」を分け、できごとと結果のそれぞれについて、予防のしようがないもの、予防できたはずのもの、そして、保育の質を上げていけば予防できるかもしれないものを見分けること、これが第一歩です。

 できごと自体が自分の園の保育として、また、子どもの育ちとして適切かつ当然であるなら、たとえ骨折が起きても「そのできごとに至った過程」を反省したり見直したりする必要はありません。生じたケガ自体については保護者に謝罪するとしても、「この活動においてこれが起きるのは、私たちの園としては織り込み済みです」と、最初から伝えておくべきことだからです。一方、できごと自体が自分の園の保育として、子どもの育ちとして不適切であったなら、ケガが生じなくても、そのできごとに至るまでの活動を具体的に見直すべきです(単純な「やめる」や、実効性のない「見守る」「気をつける」ではなく)。ケガは「結果の軽い、重い」ではなく、そこに至ったできごとのプロセスが自分たちの園の保育として適切だったかどうか?で考えるべきことです。保育の質が上がれば、起きなくて済んだできごとは起きず、できごとが起きなければケガも起きないのです。


こども家庭庁(内閣府、厚労省)の重大事故統計が広げる誤解

 「でも、毎年、こども家庭庁(これまでは内閣府、厚生労働省)に報告される事故の数は増えているみたいだし、その大部分はケガだから、やっぱりケガは危険なのでは?」…、いいえ。

 未就学児施設から自治体、そして国に報告しなければならない「重大事故」は、どんなものでしょう? 死亡、意識不明、そして、「治療に要する期間が30日以上の負傷や疾病」。さあ、「治療に30日以上を要する結果」と言ったら? 想像通り、ほぼすべてが骨折などのケガです。死亡につながりがちな「息ができないできごと」や睡眠中の異常、救急要請の多い食物アレルギー等は、その状態から回復すれば30日以上も治療に要することはあり得ませんから、死なない限り、意識不明にならない限り、報告対象にならないのです(注:熱中症に伴う臓器傷害は「30日以上の疾病」になり得る)。

 逆に、頭部外傷以外のケガは、めったに人の命を奪いません。そして、人がケガで命を落とすできごとは交通事故(=極端な形の「ぶつかる」)が大半であり、後は、0歳と1歳に「落とされる」が見られるだけです。実際、2018年の日本の死亡統計を見ると、頭部損傷は0~4歳の外因死(事故死や他殺)の28.1%、5~9歳の22.7%ですが、首から下の外傷(内臓も含む)が原因の外因死はきわめて稀です。そして、頭部損傷による死亡数は交通事故の死亡数(+0、1歳は「落とされる」)とほぼ合致します(掛札、2024)。

 つまり、外傷(ケガ)は交通事故と「落とす」以外、ほぼ子どもの命を奪うことがなく、子どもが未就学児施設で亡くなっているのは、ほぼすべてが「息ができないできごと」であるにもかかわらず、国の統計がこの、大きく異なるできごと2種類をごちゃ混ぜにしているために誤った認識が広がっているのです。

 図ではっきり示してみました(下)。これは死亡統計の分析に使ったのと同じ2018年、内閣府が示した未就学児施設の重大事故の報告数を、いわゆる「ハインリッヒの三角形」にあてはめたものです。骨折は確かに軽いものから重篤なものまであるでしょうから、「ハインリッヒの三角形」にあてはまります。「その他」に多数入るであろう重篤な切り傷や指の(不全)切断(=はさむ)、あるいはやけども軽いものから重篤なものまで結果が分布します。ですが、この三角形の一番上にある22件(死亡、意識不明)は骨折や指の切断、切り傷、やけど等によるものではありません(死亡のうち8件は睡眠中)。逆に、下部の「その他」の中には、上の22件と同じできごとは入らないはずです。たとえば、睡眠中に異常な状態になったけれどもすぐに気づいて搬送し、息を吹き返せば、「30日以上の治療」にはならないからです。

 つまり、国の「重大事故」の報告は、本来は関係のない2つ(窒息等による死亡と、骨折や重篤な等)を無意味につなげた結果、ケガを無駄に重視する見方を生んでいるにすぎないのです。そして、言うまでもなく、国の報告システムは「30日以上の治療」になったケガはすべて「重大事故」とみなし、ケガを「予防すべきだった」「予防できるはずだった」という印象を未就学施設にも保護者にも与えているわけです。本来は、死亡につながりかねないできごとの救急搬送例(命にはかかわらなかったもの)、つまり、この三角形の一番上の、無事だったケースこそ、報告し共有すべきなのです。

 この報告システム自体が、「保育の質」の向上にとって、そして、子どもの命を守る上で支障になっていると言わざるを得ません。




掛札(2024).「事故、ケガ」、『からだがかたどる発達:人・環境・時間のクロスモダリティ』(福村書店)の83~96ページ.(興味のある方は近隣の図書館に注文を)