A-6. 子どものケガを保護者に伝える:あいまいな謝罪ではなく説明を(2022/3/7)

 ケガにつながるできごとの中には育ちの価値があるものもあり、数センチの段差につまずいても骨を折ることはあるのですから、「ケガは絶対防ぐ!」「ひどいケガにならなければいい!」は無理です。

 前提は次の3つです。
1.「できごとと結果の軽重が直結しない」というケガ(外傷)の特徴を理解してください→5-1の前半
2.ケガにつながるできごとの中には、育ちの価値があるものと、基本的に無駄なものがあるという区別を理解してください→2-1
3.あなたの園の保育方針に照らし、実際に起きたケガやニアミスをもとに「このような(ケガにつながる)できごとは育ちの価値とみなす」「このようなできごとは価値ではなく、保育・教育の質を満たしていなかったとみなす」という線引き作業をしてください→A-1の後半

 前提を満たしたうえで、以下をお読みください。特に、3の作業を少しでもなさっていないのでしたら、以下の判断(★の所)はできません。


「謝罪しない」ではなく、「まず説明する」

 「ケガが起きた時、謝ってはいけません」と言うと、「じゃあ、なんて言えばいい?」というお尋ねをいただきます。なので、正しく言い換えます。

 「謝る前に、事実をはっきり説明しましょう」、そうすれば謝罪(※)する必要性はほぼなくなります。

 まず、「おケガをさせてしまって申し訳ございません」は事実に反する誤りです。園が「ケガをさせた」わけではないからです(本当に「ケガをさせた」なら、それは大問題)。むやみに謝罪すると、「謝っているのだから、謝っているこの人が悪いのだ」という認知が、謝られている側にも、その様子を見ている周囲の人たちにも生まれます。まして、「ケガをさせてしまって」と謝っていたら! 

 仮に、本当に「ケガをさせた(事故ではなく、虐待)」のだとして、謝れば許してもらえると考えている人はいないはずです。園が「ケガをさせた」と言っていたら、受け取る保護者にとっては虐待も事故も変わりありません。謝罪で許せるものではない。説明もせずに(説明もできずに)謝っていると当然、「謝れば済むと思っているのか!」という話になります。人間はまず、「なぜ?」「どうして?」を知りたいのです。謝罪をくりかえしても「なぜ」「どうして」は満たせません。

 それでも、この文化にはかつて、「とにかく謝って丸くおさめる」という儀礼がありました。片方が謝罪をしたらもう一方も「いえいえ、こちらも悪かったのです」と言う、そういう儀礼。20年前ぐらいまでは、未就学児施設のケガもこうやって収められてきたのでしょう。「おケガをさせてしまって申し訳ございません」「いえいえ、うちの子がいけなかったんです」…、儀礼です。

 この儀礼はもう通用しません(そのように言う保護者は、まだいるでしょうけれど)。過去のケガ事例の中にも出てくる通り、子どものケガで園や学校が大きな賠償責任を問われたケースもあります、子ども同士の間で起きたできごとであっても。子どもは関わりあいながら育っていく以上、「うちの子どもがケガをしたら許さない」「訴える」と言う保護者の子どもを園に入れることはできません(A-2A-3)。そして、自園の保育・教育の価値に照らして問題のないできごとで生じたケガであるなら、そして、ケガの後にした対応が間違っていなければ、謝罪ではなく、明確な説明から始めることが不可欠です。

 なぜ? ケガに至った理由をはっきり聞き、それが入園時に聞いた「保育・教育の価値」(A-2A-3)に合致すると理解し、自分の子どもにも他の子どもにも園にも保育・教育上の非がないと理解すれば、納得はしなくても(=感情的には動揺が残っても)保護者はそれで良しとするだろうから、です。一方、明確な説明はなく、保育者(園)が謝っているばかりなら、保護者は「なぜ、このケガが起きたのか?」という根本的な疑問が解消されないうえに、説明もせず(できず)、謝る園にはなにか、説明できない大きな非があるのかもしれないという疑念さえ抱くようになるかもしれません。

 一方、むやみに謝っていたら、園は起きたケガの本質を分析することも、保育・教育の質向上につなげていくこともできません。下で説明している通り、「育ちとして当然のできごとの結果として起きたケガ」「保育・教育の失敗として起きたケガ」を区別できずにいたら、後者の失敗を何度でもくりかえします。謝って「気をつけます」と言っているだけでは、何も改善しません。謝るべき所があると考えるなら、それがどの点なのか、なぜ謝るのか、謝った後にどのように改善するのかも明確にする必要があります、相手のためにも、自分のためにも。

※ここで言っている「謝罪」とは「おケガをさせてしまって申し訳ありません」という、漠然とした謝罪のことです。状況に合わせて、「お手数をおかけします(しました)」「ご心配をおかけします」等は使うべき時があります。ただ、先生方はこの種の語彙がとても少なく、なんでも「ご心配を」「ご迷惑を」と言ってしまうきらいがあります。相手(保護者)の感情に合わない言葉を使うと、相手をよけいに怒らせる危険もあります(例:相手が明らかに怒っているのに、「ご心配をおかけしました」と言ってしまう)。


ケガが起きた後の流れ

ケガが起きた。

保護者に電話をする。
  • 「保育園です。お忙しいところ、よろしいでしょうか。」(電話をかけた時の言い方は、B-1のこの項の※印参照
  • 【ここで謝罪の言葉を言わない】
  • ケガの事実を伝える。「Aさんが〇〇をしている時にケガをしました。」【ここで謝罪の言葉を言わない】
  • 受診するかどうかを確認する(受診するなら園が連れていく)。おとなが誰もケガの瞬間を見ていなかったのであれば、保護者がなんと言おうと絶対に受診する。
  • 保護者の判断のため、必要ならケガの部位を写真に撮ってメールで送る。特に、電話で「ちょっとケガをした」と言うと、たいていの保護者は「ちょっとケガ」=「たいしたケガではないのだろう」と推測してしまうから。そうすると、実際のケガを見て「電話ではたいしたことないように言っていたのに!」と言いかねない。
  • ケガをした経緯については、「お迎えの時にご説明します」。

★その場にいた保育者、担任、園長で考えて、判断する★
「このケガにつながったできごとは、私たちの園の方針に照らして適切なできごととみなせるか」

(以下、場合に応じて1~3に分かれます)

1)ケガにつながったできごとを見ていた。または、見ていなかったが、年中・年長児が自分ではっきり、できごとの説明をした。または、見ていなかったがビデオカメラに様子が残っている。

★検討した結果の判断が
・「適切なできごと」である、または、
・「適切」云々以前に自分で転ぶこと、つまずくこと等は保育者が見ていようとも絶対に予防できない、となった場合

お迎え時
  • (メモを書いて練習)挨拶【ここで謝罪の言葉を言わない】
  • (メモを書いて練習)「このケガです。このように処置しました。」
  • (メモを書いて練習)「何が起きたかというと…」。状況を、そこにいた職員と園長(または主任/副園長)が簡潔かつ事実と時系列に基づいて説明する(※)。この時、保育者が推測した子どもの意図(「~しようとしたのかも」)や保育者の思いや解釈(「~してほしくて~しました」)は入れない。こういった内容は、園が「子どものせいにしている」「職員が言い訳をしている」と解釈される危険がある。そもそも主観的な推測や解釈にすぎない。
  • どう考えても予防できないできごと(転ぶ、つまずく、足をすべらせる等)なら、はっきりそう伝え、「防ぎようがありませんでした」。
  • 今後の保育者の対策として、「子どもに声をかける」「気をつける」「見ている」「横につく」等、誰が聞いてもできるはずがない、あるいはしていたとしてもケガの予防に役立つと思えないことを言わない。まして、「このようなケガが二度と起きないようにします」などと言ってはいけない。相手は「できるわけがないのに」と、よけいに腹を立てる可能性がある。

・たいていは、ここで保護者は理解を示す(納得はしていなくても)。

保護者が理解はしたものの、「こんなケガが起きないようにして」と言われたら、「お子さんは育っていく途上にありますし、集団保育ですから…。私たち職員の仕事も、お子さんたちを見張っていることではありませんので。このようなできごと、ケガが起こらないようにするというお約束はできません」と穏やかに、毅然と。

これでもまだ「ケガは絶対にダメ!」と言われたら、穏やかに、下手(したて)に出る申し訳なさそうな言い方で、「ごめんなさい、〇〇さん。そのようにおっしゃられても、私どもとしてはそのようなご要望にはお応えできません。無理なものは無理ですから…」。この言い方は、自分の子どもだけを特別扱いせよと言われたり、無理を言われたりした時、同じように使える。

このやりとりがあったら、すぐ自治体保育課に連絡する。保護者から保育課に連絡がいく可能性が高いので。

2)ケガにつながったできごとを見ていた。または、見ていなかったが、年中・年長児が自分ではっきり、できごとの説明をした。または、見ていなかったがビデオカメラに様子が残っている。

★判断が、保育・教育の質として不適切であるとなった場合(例:危険な活動をゆるしていた。発達段階に合わないことをさせていた等)

(お迎え時)
  • (メモを書いて練習)不適切であったこと、結果としてケガが起きたことを謝罪し、どこが不適切であったかをはっきり説明する。
  • 具体的に、どの部分をどのように改善するかを伝える。「ケガが起きないようにする」対策ではなく、できごとにつながった保育者の判断や行動を変える対策を明示する。

この対策が具体的に実施されれば、同じできごと、結果(ケガあるいはもっと深刻な結果)は予防できる。そして、保育・教育の質は上がる。この種のできごとが起きた場合、ケガ等の結果が起きなくても、共有して改善すべき。

3)できごとを保育者が誰も見ておらず、ビデオもなく、子どもも自分で説明できず、できごとの推測もできない場合。この時、他の子どもの言葉をもとにしてはいけません。保護者によっては、他の子どもの言葉をもって説明している事実から、「他の子どもにいじめられた?」と考える人もいるでしょうし、なにより他の子どもの説明が正しいと言える証拠はどこにもないので。

★保育・教育の質としては判断できない。

とにかく受診。

(お迎え時)
  • (メモを書いて練習)「見ていなかった」という部分について謝罪し、何が起きたかは推測の域を出ないことを説明する。(謝罪する時は、自分たちが何について謝罪しているかを明確に! あいまいに全体的に謝ることは相手の不満をよけいに大きくする。)
  • 「これからは、うちの子を必ず見ていてください」と言われたら、「そうできればいいのですが、保育者の仕事は子ども一人ひとりを見張っていることではないので、見ていないことはどうしてもあります。国の配置基準も〇〇人ですから…。ケガが起きたら必ずお伝えして、受診しますね」と穏やかに毅然と。

質として問題があった可能性がある、あるいは、その可能性はなくても今後、判断をしたいという場合には、録画用のカメラを設置する。録音や録画が当然となりつつある現在、園が自分たちを守り、保育・教育の質を具体的に上げたいと考えるのであれば、録画は基本(A-3にも記載)。


※元・編集者として見ると、事実を時系列に伝えることが不得手な先生は少なくありません。事故報告書をどう読んでも、何が起きたのかがわからないケースは多々あります。
・事実と、子どもの言葉、おとなの解釈や思い(感情や評価、希望)がごちゃ混ぜ。
・事実を起きた順に並べることができない。おとなの感情や評価が中心。
 事実を事実だけ整理して記録したり、伝えたりする訓練は重要です。おたよりや記録でも、事実ではなく、先生の評価や希望が前に出がち。訓練すればできるようになることではありますが…。

 また、説明を看護師等に任せている園がありますけれども、説明はその場にいた職員がすべきです。その場にいなかった職員が伝聞で保護者に伝えれば間違いも起こり、後でその間違いが問題になるからです。